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フェッターケン1975と記憶の関係

  

【フェッターケンと記憶の関係】

とある著名な方のブログに長めのコメントを書き入れさせてもらったので、こちらにも残しておきたいと思います。

当サイトをご覧いただいていて、エージェンシー系のフェッターケンを飲んだことがある方は、今となってはすぐにでも納得していただけるかもしれないのですが、

たまたま北海道のお土産に親近感のある私が、これはホワイトチョコレートだ!!と各方面で言いまくっていたテイスター発売当初の段階では、普段からそんな甘いモノ食べているわけもないモルト飲みの方からは「ああ~ そうなんだ~ クリームブリュレの方が近くない?」など、その時直近で食べた経験のあるものなのであろう「イメージ」が先行して表現されておられたように感じました。もちろんどんな比喩であっても実物がそこにあるわけもなく、あくまで表現方法の仕方で「何がそのとき一番しっくりくるか」であって、正解はそもそもない話なのです。

そんな当初あまり理解されなかった 「 フェッターケン1975 ≒ ホワイトチョコレート風味 」 説ではありましたが、おそらく記憶のどこかに残して置いていただけたのかもしれません、探していただけたのかもしれませんが、

冬になってモルトがおいしい時期に再びと確保しておられたボトルを開栓され、ほんの少量飲まれたというAマスターのテイスティングコメントにはうれしいことに開栓直後から「ホワイトチョコレート」の記載がしっかり!

人間の記憶というのは本当に興味深いし、喜びを共有することは素晴らしいなと感じました。

こんにちは!先日はとても楽しい時間をありがとうございました。

Aさまからもホワイトチョコレート認定、しかも北海道つながりで白い恋人認定(私は六花亭)を頂けて、喜びを分かち合えたかのようにとてもうれしいです。

本当に人間の記憶というのは不思議なもので、夏ごろAさまのインプレッションでも「開栓したてなのでまだ感じないが、そう発展する要素はわかる」というコメントでおられて、確かにそういう発展をしたものを回数を重ねてテイスティングされていったり、私のようなものが些少でもブログでコメントを書かせていたりというささやかな先入観を植え付けてしまうだけで、今度は開栓直後でしかも少量で「ホワイトチョコレート」を感じ取れてしまうようになる。。。

つくづく嗜好品というのはマイナス要素を言ってはもったいないし、いかに自分が悪い要素に気づいたとしてもスルーするか。記憶にとどめないか、またはそういったものに出会わないようにし続けるのかなのだと感じます。それができるのも経験であり、バーテンダーさんのスキルが大事なのだと思います。

逆にとても良い要素なのだとすれば、ラベルだろうが評判だろうがテイスティングノートだろうがあらかじめ「道しるべ」があったほうが、飲み手の幸福感はイメージトレーニングがされている分増幅されると。もちろんそれを示せるのも経験であり、バーテンダーさんのスキルが大事なのだと思います。

(後略)

本当に興味深い出来事でした。つまりはどんなことであれ「良いイメージ」は幸せを増幅するし、それを「共感できること」は本能的に「満足」につながるイベントなのだということなんです。ささやかな楽しみの嗜好品なのであれば、良い要素を騙すことなく煽ることなく的確に表現しアピールするならば、同一のモノであっても「幸せや満足」をより増幅させることが出来る、その方がいいし、自然とそうなるじゃないかと。今回の事例がその証明なのだと思うのです。そしてここには「人間にとって嗜好品とは何なのか?」「バーテンダーとはどうあるべきか?」へのアプローチの一端が間違いなく隠されているように感じます。

キーワードは「何回も」「時間をかけて」「時間をあけて」「素直に良いイメージで」「喜びの共有」「発見」「経験」「記憶」「増幅」。。。と盛りだくさん。

素晴らしい経験でした! ありがとうございました!

#ウイスキーの化学

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