【問】
①開栓後のボトルは時間がたつほど美味しくなるか?
②テイスティングノートを公開することは当該ボトルの価値を下げることになるか?
【当サイトなりの答え】
確かに甘みは酸化したほうがより強く感じる傾向にあります(しかしピークはあります)。木になった果実と同じですね。よく瓶熟の話がされますが、サマローリ氏は「我々は瓶詰めのタイミングに細心の注意を払っている。開栓直後のフレーバーこそ我々のベストと考える味である」と言われていました。アルコールは変化しやすいですので、美味しいに越したことはないですけど、通常はこれ以上の酸化は望ましく作用しない可能性があると、熟成のピークだとして詰められているわけですから、余程取り除きたい要素のない限り「開栓後は早めにお召し上がりください」でいいのではないかと思います。アルコール度数にしても他の要素にしても、得るモノと失うもののバランスはその人が感じられるかどう思うのか運次第です。私個人はボトルの回転が低いバーで度数が落ちて肩の丸くなったウイスキーに大枚をはたき、それがその酒のポテンシャルであると誤解していた時期がありました。それは貴重なウイスキー好きになる素養のある人を遠ざけてしまうことにもなりかねません。つまりは作り手の意図は開栓後時間が経てば経つほど伝わらなくなり、作り手にとって想定外の変化が飲み手にとって好ましいのか好ましくないのかの問題となるのです。
テイスティングノートの影響は、味覚も記憶で増幅される以上無視できないです。イメージトレーニングと同じです。ですのでウイスキー自体を批判するコメントは私はよっぽどでないと書かない(それ以後自分が飲むときにもマイナスになるから:後述)ですが、ユーザーが貴重なお金で失望を買わないためにも参考にされることは悪くないのではと思います。
あまり良くないコメントなら飲む気もなくなると思いますし、一方ひどいボトリングを世に出さない抑止力になると思います。良いコメントならば発売当時注目されなかったり、小規模のボトラーズであっても探し出して飲みたくなるでしょう。ですので一長一短だと思います。
ではなぜテイスティングノートを書き、公開するのか。それは美味しかったウイスキーの飲用体験をより深く深く、本人が記憶して、今後飲むときにはより美味しく感じられるようにするための下準備なのです。一度やられてみるとわかります。パブリックな存在にするなど記憶を確かにする作業を経た後ほど感覚増幅効果は高いのです。脳というのはそういうものですし、大変申し訳ないのですが大部分の恩恵は自らが享受しているのです。私はあらゆる場所で「美味しい」としか発言しません。そうでない場合はあっさりスルーして記憶にとどめません。それしかないのです。よく何事も批判を口にされる人が本気でそう思っているのだとしたら、それはご本人にとって非常に残念な感覚を増幅ことになるでしょう。ただしそれを覚悟で批判しなければ何事も変わらないという側面もまたあるのです。ここが難しいところです。私はウイスキー自体に対しては前者を採用しています。
もちろんバーテンダーさんたちがみんな基準に達しないボトリングは店で出さないとなれば、安心してみんなBARでもっと飲むと思いますし、それが一番です。美味しくないのにお客に提供しているという感覚は、当のバーテンダーさんにとってもマイナスなことなのです。ぜひよろしくおねがいします。
#ウイスキーの化学