【豆:スコットランドで密造が行われていた理由:麦芽税、釜容量税とは?】
よく昔のスコットランドの密造酒時代などと語られますが、実際のところどのような理由によるのでしょう?
すこし掘り下げて見てみることにします。
スコットランドは過酷な気候で必ずしも農業に適した土地とはいえません。しかしながらウイスキーづくりには適した風土であり、厳しい冬を乗り切るため、そしてフェスティバル好きのケルト人たちは酒を酌み交わすため、農業の傍ら小規模なウイスキーづくりを行っていました。その風味はイングランドのみならず、早くからヨーロッパ諸国でも評判で、販売網が出来上がっていました。
1603年 時のスコットランド王「ジェームズ6世」がイングランドとの統合宣言を行います。
1707年スコットランドとイングランドの併合が実現します。
これに最後まで反対したのがハイランド地方のケルト人を祖先に持つ「ハイランダー」です。(参考:ロングモーン ハイランダー 16y インタートレード)
この動きに対抗すべくイングランド政府がとった策は、
1725年ウイスキー生産に対しての課税措置、「麦芽税」の導入でした。
これはウイスキー作りに使用した麦芽の量に対する課税です。イングランド政府が任命した「収税吏」へは歩合制(摘発実績に応じた歩合払い)を敷き、またこの課税に逃れる者に対しての摘発をせきたてました。
しかしながらこの歩合も高いものとはいえず、賄賂が横行してしまいます。
とはいえイングランドに近いローランド地方での摘発は厳しく、ローランド地方においては使用する麦芽を減らすための工夫を行うようになります。
主にローランドにおいて未発芽大麦だけではなく他の穀物を混合した「グレーンウイスキー」の生産が開始される。
そこで今度は、
1780-1790年 イングランド政府、麦芽税から「釜容量税」へと変更を行う。
税率はこの間幾度も変更され、当初の50倍へと拡大してしまいます。ほぼスコットランド、つまりは併合に反対する勢力の体力を削ぐ策だったわけです。
蒸留所は釜の大きさを従来の3分の1程度に変更するところが相次ぎ、蒸留回数を増やす必要性が出てきました。
1830年ごろにはローランド地方の蒸留所が「連続式蒸留器」を導入。発明したのは「収税吏」でもあったAeneas
Coffy。彼の名前からコフィー スティルと呼ばれ、その後のウイスキー大量生産システムに大きな役割を果たすようになります。
一方そのような対応ができる体力もなければするつもりもない主に小規模蒸留所は収税吏の取り立てを逃れるため、目の届かない山奥などにひそむことになり、密売するにも販売ルートが決まるまで保管期間を従来よりも長くとる必要に迫られ、スペインから入手したシェリーの空き樽に詰めていたところ驚くほど風味が増したという発見につながりました。(そもそもワインの流通において樽に詰めて船舶で運んだら風味が増したという噂から同様の効果を狙ったという説もあり)
税金逃れの苦肉の策が新しい発明を生むという観点では、日本のビール・発泡酒・第3のビールの関係と似ていますね。
#ウイスキーの知識