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山崎 1986 ミズナラ オーナーカスク 49度



 

 

輿水氏推奨コメント
1986年山崎蒸留所で蒸留された原酒を国産のミズナラ樽で21年ゆっくり貯蔵。ミズナラ樽は非常に希少でサントリーでも約3,000樽程度しかなく、また、長期に熟成した原酒でのみ、香木や熟した果実を連想する香りを生み出します。

アルコール度数 49度
容量 700ml

蒸留所名
YAMAZAKI

山崎

オフィシャル(OB)/ボトラーズ/インポーター
OB
ビンテージ

1986-2007

流通年

2007年

度数/内容量/カスクナンバー
49%  70CL  ミズナラ樽 293/424 6B0018 56-S-10-9
ボトル形状 ボトル色 ボトル残量
ダンピー瓶 透明 70%
 

総合点数 

94(SGP:664)

S for the Sweet/Fruity scale (honey, fruits, candy, raisins, vanilla, flowers…)
G for the Grainy/Grassy scale (porridge, yeast, grass, malt, wax, beer…)
P for the Phenolic/Smoky scale (farm, peat, sea, tar, spices, liquorice, meat…)

SGP各最大値は9

90-00年代初期 OB マッカラン12年 43°を80点とする
ストック/BAR
BAR
テイスティング者体調/当日摂取アルコール

普通/モルト5杯目

ファースト
琥珀 花っぽい 甘い ハチミツ 上品(これがキャラ・ビャクダンか) 
10
ミドル
ボディ広がってフィニッシュへの連結感抜群 ハチミツ 桃 バニラ
9
フィニッシュ 

時間と共にフルーティーさが際立ってくる ハチミツ バニラ

9
エクストラ(その他)

間違いなくこれまで私が飲んだことのある山崎の中で1番のボトル。

ミズナラ樽についてはウイスキー樽について参照。 長期熟成により、伽羅(きゃら)の香りとも白檀(びゃくだん)の香りともたとえられる独特の熟成香を身につけるという。

【山崎蒸留所の歴史(サントリー)】

1923年、サントリー創業者でジャパニーズウイスキーの創始者、鳥井信治郎が建設着手した日本初のモルトウイスキー蒸溜所、それが山崎蒸溜所です。

創設期の日本は舶来品を嗜む富裕層は別として、一般にはウイスキーに馴染みがなかった時代でした。職人たちは苦難に耐え、モルト原酒の品質向上に全霊を傾けつづけました。

やがて数多くのブレンデッドの名品を誕生させ、シングルモルトウイスキー山崎を世界品質に高めた山崎蒸溜所の歩みはジャパニーズウイスキー史そのものであり、まさにジャパニーズウイスキーの聖地といえます。

1929年、初の本格国産ウイスキー「サントリーウイスキー白札」誕生以来、山崎蒸溜所はジャパニーズウイスキーの香味の創造をつづけています。日本料理の味わいには淡麗ながら複雑な深みがあり、長年それに慣れ親しんだ日本人は突出した香味よりも繊細さを好む傾向があります。山崎ではスモーキーフレーバーを抑えた豊かな香味を持つモルト原酒の追求に挑戦。戦争中も絶えることなく稼働し、戦後はウイスキー・ブームを生み、日本人の嗜好の変化、食のグローバル化に対応しながら、多彩な香味を生むつくり分け技術を磨いてきました。そして現在も山崎蒸溜所と山崎モルトは進化をつづけています。

鳥井信治郎は13歳で、輸入酒も扱っていた薬種問屋に奉公に出ます。彼は和漢薬や洋薬のブレンド技術とともに洋酒を嗅ぎ分ける感性を磨きました。そしてウイスキーへの憧れを募らせながら1899年、20歳の若さで独立。輸入ワインや缶詰を商う鳥井商店を創業。これが現在のサントリーのはじまりです。ある時、信治郎はリキュール用スピリッツをワイン古樽に詰めたまま忘れてしまいます。何年か経ち試飲してみると深みのある味わいを湛えていました。熟成の神秘を知った彼は高揚感に震え、ウイスキーづくりへの挑戦を決断します。そして周囲の反対を押し切り、ウイスキー事業に邁進したのでした。

高度経済成長で生活に豊かさが増した1970年代、ウイスキー消費量はより拡大し、寿司店をはじめとした和食店でも飲まれはじめます。山崎での香味づくりの結実、ひとつの到達点といえましたが、ライフスタイルの多様化にともなう新時代への序章でもあったのです。信治郎の跡を継いだ次男、佐治敬三は未来を見据え、「人々はさらに精神的な豊かさを求めるだろう。社会がこのまま成熟した時、より個性あふれる付加価値のある香味への嗜好が高まるのではないか」と考え、ひとつの答えを出します。それはブレンデッドウイスキー主流の時代に冒険ともいえる、シングルモルトウイスキー山崎の開発でした。

佐治敬三はモルト原酒の品質を語る時代、長期熟成プレミアムウイスキー時代の到来を予測。当時シングルモルトは世界でも限られた好事家だけが嗜むウイスキーでしたが、深い熟成感と華やかで繊細な香味の高品質なモルトウイスキーならば、必ずや日本人にも受け入れられると判断し、開発をすすめます。コンセプトは「スコッチとは異なる、日本的で上品なテイスト」。山崎最良のモルト原酒を厳選、結集して、繊細で複雑な香味が幾重にも押し寄せるシングルモルトを創造します。そして1984年。香りの花束、シングルモルトウイスキー山崎、誕生。それは60年に渡り継承してきた匠の技の結晶でした。

「日本的で上品なテイスト」のシングルモルト山崎は地道にファンを獲得します。敬三は高い評価に職人の技術の確かさと山崎モルトの香味への自信を深めるとともに、さらなる進化、徹底した品質追求を目指しました。現状に満足することなく、山崎蒸溜所大改修を決断したのです。改修にほぼ2年をかけ、サントリー90周年を迎えた1989年から新設備でのモルト原酒づくりがはじまりました。発酵槽は木桶とステンレス、蒸溜は直火蒸溜と間接蒸溜という併用体制となり、多彩なモルト原酒のつくり分けをより強化したのです。これが後に大きな成果をもたらすのでした。

シングルモルト山崎は90年代以降、華やかな彩りを見せます。プレミアムウイスキー時代の開幕でした。92年「山崎18年」、95年「山崎10年」とエイジングの異なるシリーズを発売。サントリー創業100周年を控えた98年には山崎蒸溜所が誇る長期熟成モルト原酒を結集した「山崎25年」。さらには2005年、日本初の100万円ウイスキー「山崎50年」を発売するなど、高度な匠の技の継承がなければ誕生し得ない香りの花束に注目が集まりました。鳥井信治郎、佐治敬三とつないだ山崎の100年は、いま第3代マスターブレンダー鳥井信吾に受け継がれ、新たな進化をつづけています。

2003年、世界的権威のあるコンペティション、ISCで「山崎12年」がジャパニーズウイスキーとして初の金賞を受賞。“ノーブル”と賞賛された快挙の背景には、1989年の大改修後につくり込まれたモルト原酒の貢献があります。その後も山崎シリーズが数々のコンペティションで栄誉を獲得するなか、鳥井信吾は決断します。2006年、さらに長期熟成に耐え得る深遠で多彩な原酒を生み出すために、小型ポットスチルを導入。12基のうち6基の形状が異なる世界でも稀な設備を施しました。遺産を受け継ぎながらの進化。これが山崎の伝統。いまこの時を未来の香味創造のために捧げつづけています。

10
加水
加水せず



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