何故か常連さんに本を渡され、全員で読書会になったBarの若造です
続きが気になるところです。。
とうとうジャパニーズウイスキーに突入です。ちょっと大変そうかな?
ジャパニーズウイスキーの特徴
香味の主体は大麦麦芽を単式2回蒸留で造るモルトウイスキーで、トウモロコシなどを原料に連続式蒸留で造るグレーンウイスキーと混合してブレンデッドウイスキーとして製品されることが多いです
日本特有の優美で繊細な特徴を持つと言われるが、スコッチウイスキーを手本にしてきた為、両者は割りと似ていると言われます
スコッチと比べて日本では製造免許を持つものが限られており、蒸留所の数が少ないです。独立瓶詰め業者も存在しなかった為、ウイスキーの生産者が原酒造りから製品提供まで全て行うのも特徴です
歴史
南蛮酒と呼ばれる西洋の酒が日本に伝わったのは鉄砲伝来(1543年)、キリスト教宣教師来訪(1549年)以降の室町時代とされていますが、ウイスキーが伝わった確実な記録は、黒船が来航した時です
1854年にペリーが2度目の来航した時には第13代将軍家定にアメリカンウイスキーが1樽献上されたと記録にあります
日清戦争後の1895年にはアルコール製造の為のイルゲス式連続蒸留器が日本へ輸入され、1911年には摂津酒造が自社アルコールを使ったウイスキーを造っています
1902年に日英同盟が締結されて以降、本場のスコッチの輸入が増加し、一般大衆の酒類に対する知識も向上しました
本格的なモルトウイスキーの製造を実現させたのは、赤玉ポートワインで成功を収めた株式会社寿屋の鳥居信治郎でした
スコットランドの技術を学ぶために摂津酒造から派遣されていた竹鶴正孝を1923年に会社に迎え入れ、京都に程近い大阪・山崎の地に蒸留所を建設しました
1924年に竣工した蒸留所で作られたウイスキーは、1929年に初の本格ウイスキー、サントリーウイスキーとして発売されました
寿屋を退職した竹鶴政孝が、1934年に立ち上げた大日本果汁は、スコッチウイスキーの造り方に倣い、同様の風土を求めて北海道余市に工場を建設し、1939年にニッカウヰスキーを発売しました
第二次世界大戦後、は東洋醸造や大黒葡萄酒、本坊酒造など多くの企業がウイスキー事業に参入しました
1971年にはウイスキー貿易が完全自由化され、数量、取引金額に制限なく輸入が出来る時代になり、1972年にはシーグラム社の資本参加でキリンシーグラム社が誕生
高い関税率にも関わらず、高級志向が高まり、特級ウイスキーの消費量が2級に追いつき、以降逆転。1989年には級別制度が廃止され、酒税に大幅な変更がありました
生産者の系列化や、企業の海外進出が進み、人々の好みの趣向もブレンデッドからシングルモルトへ移ってきています
復習
Q① 元麹改良法で特許を取得し、アメリカに招かれ、大麦麦芽を用いずに元麹を使ってトウモロコシを原料にアルコールを造る方法の実験に成功した人物は
Q② 1929年に発売された「サントリー・ウイスキー」の通称は
Q③ 「サントリー・ウイスキー」「ニッカウヰスキー」と共に高い評価を得た宝酒造のウイスキーは
Q④ 大黒葡萄酒は、現在なんという企業になっているか
Q⑤ 第二次世界大戦後、日本ウイスキー会社3本柱と言われた会社は
答えは追記
A① 高峰譲吉
A② 白札
A③ キングウイスキー
A④ メルシャン株式会社
A⑤ 寿屋 大日本果汁 オーシャン
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