末端冷え性な若造です。生活改善により、ここ数年はしもやけが出来てません
お休みの昨日2時間ほどお勉強をしましたが、既に忘れていることが多く、焦り始めてきました
なんとかがんばります
スコットランド及びスコッチウイスキーの歴史
蒸留技術は、ヨーロッパからアイルランドを経て布教の為に渡来したキリスト教の修道士だったとされます
聖コロンバがアイオナ島に来たのは563年。実際は11~12世紀に伝わったのでは・・とされています 超重要
文献に残る最古の蒸留酒の記録は1494年スコットランド王室財務省のもので
「王の命により修道士ジョン・コーに8ボルのモルトを与え、アクアヴィテを造らしむ・・・」
という記載です。1494ですよー1494
1603年イングランド女王エリザベス1世が死去。同年スコットランド王ジェームズ6世が、ジェームズ1世としてイングランド王に即位。同君連合が成立
1707年、スコットランドはイングランドに併合され、グレートブリテン王国誕生
既に1644年にスコットランド議会はウイスキーに課税を行っていましたが、併合後は恒常化されました
スコットランドは独立をかけて1745~46年、独立戦争を起こす(=ジャコバイトの乱)が、敗北。結果キルト、バグパイプが禁止される弾圧が行われました
ナポレオン戦争の戦費補充の目的で、1793年から10年間、酒税が大幅に引き上げられました
そういった経緯から、密造が横行。樽の中に隠していたら熟成していたそうです
1823年、政府は妥当なウイスキー製造認可料を定めた結果、合法的にウイスキーで商売が出来るようになります
この頃、連続式蒸留器の開発も為され、1846年の穀物法撤廃により、安価なトウモロコシが輸入され始め、グレーンウイスキーへと発展していく
1853年、同一の蒸留所製品に限り、蒸留年の異なるものを混和しても良いという規定に基づいて、エジンバラのウイスキー商アンドリューアッシャーが最初のヴァッテドモルトウイスキーを販売
異なる蒸留所のウイスキーを保税倉庫内で混ぜ合わせることが認められたのは1860年以降です
この後、フランスはフィロキセラの被害によりブドウ畑が壊滅。ブランデーに変わる蒸留酒が求められた
1906年には、ウイスキー論争勃発。内容は「ブレンデッドはウイスキーではない」と一部のブレンデッド会社が告発されたのです
結果1909年、37回の審議を経て、「ブレンデッドはウイスキー」との決着が付きました
20世紀が近づくに連れて、1890年頃までは盛んに行われていた蒸留所の建設は滞り、1898年大手ブレンド会社パティソンズ社倒産
第二次世界大戦後まで不況でした
そんな中1877年に、DCLが設立、1927年までにビッグ5を全て合併吸収して勢いづいていました
1960~1970年代にかけて、多くの蒸留所で自家製麦をやめ、モルトスターに任せるようになりました
今では伝統的なフロアモルティングを行っているのは数える程しかありません
復習
Q① イングランド女王エリザベス1世が即位した年は
また、同年になにがおきたか
Q② メアリー1世が処刑された年は
Q③ 1689年に誕生したとされる蒸留所は
Q④ 第一回ジャコバイトの乱hあ、何を目的とした反乱か
Q⑤ 1822年、密造摘発数はどのくらいだったか
答えは追記
A① 1558年
スコットランド女王メアリー、フランス皇太子と結婚
A② 1587年
A③ フェリントッシュ
A④ ジェームズ2世(7世)とスチュワート家を支持する
A⑤ 14000件
#WPへの道