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キャンベルタウンの歴史

先日はクライヌリシュを紹介しましたがケルティックシリーズは今回もう一本購入してます

グレンスコシア15年1992・・・66.2%!

「モルトの香水」と称されるスプリングバンクと双璧をなす、キャンベルタウンの銘酒です

キャンベルタウンには、このグレンスコシア、スプリングバンク、それと最近出来たグレンガイル蒸留所の3つしかありません

スプリングバンクは、多くの人々から熱烈な支持を受け、地位を不動のものとしています

グレンガイル蒸留所は、スプリングバンク蒸留所が復活させた蒸留所。シングルモルトとしてはまだ出荷されていないので未知なるものです

対してグレンスコシアは、スプリングバンクに肩を並べるほどの実力を持ちながら、輝かしい経歴を持つスプリングバンクの陰に身を潜めた蒸留所です

オフィシャル、ボトラーズともに少量出回っています

キャンベルタウンの蒸留所には悲しい過去があります

キャンベルタウンはかつて、ウイスキーのメッカとも言われる地で、とても狭い地域の中に蒸留所が30ほどもひしめき合っていた時期がありました

大麦の主生産地であり、数少ない石炭の鉱脈があったことが、キャンベルタウンが栄えた決め手でしょう

しかし、アメリカの禁酒法時代(1920~1933)に、取り返しのつかないことをしてしまった

潮の香りやボディの複雑さから、重厚な味わいなウイスキーに仕上がることの多かったキャンベルタウンモルトに、あるライバルが出来た

スペイサイドモルトである。スペイサイドモルトは、花やフルーツの香り、ライトで飲みやすいものが多かった

丁度、ブレンデッドウイスキーが人気を博してきた頃。人々は飲みやすく軽快なものを求め始めたのだ

これに焦ったキャンベルタウンは、アメリカに粗悪なウイスキーを輸出。それもあろうことか「アイリッシュ」の名を冠して

当時はアイルランドもウイスキー発祥の地として数多くの蒸留所が存在していたが、キャンベルタウンと同様、ブレンデッドウイスキーの登場から衰退の道を辿っていた

そこに悪名を付けられ、大打撃を受けた。もちろん、そんな不条理なことがまかり通るはずなく、キャンベルタウンも衰退。一方的に他国を巻き込みながら滅んでいった

そんな栄光と挫折を味わったキャンベルタウンの蒸留所は、先に述べた3つだけしか残っていない。

多くの向かい風の中生き抜いたスプリングバンクとグレンスコシア(グレンガイルはスプリングバンクの資本で復活したので、生き抜いたわけではないと思う)

色んなものが詰まったこの一杯のウイスキーはどんな味がするんでしょう

66.2%ありますが笑

いつになく語ってしまった若造がお送りしました

#ウイスキー

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