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MUDAの中の粋

今日お客様とのお話の中で、出た話ですが。

最近のお店には「無駄の中の粋さがない」といわれていました。

「昔の粋なお店には、女房と愛人がバッティングしないように太い柱があったりして、それを隠れ蓑にしたりエレベーターから降りる場所は板張りにしてあって、誰かが降りてきた事がわかるようにしてあったりしたもんだよ」

これを聞いた私は、倫理的にどうかというよりもそういうお店があったことに対して豪胆な先人たちの為の配慮とそういうお店側の粋の部分を感じさせられました。

確かに、今の時代は利便性の追求ばかりをして「無駄」な物は省きその精度や使い勝手を考慮した物が多いような気がします。

そういったものの中からは、「粋」さを感じる事はできないような気がします。

当店でも、少しだけ無駄な物があります。

それは、「レコード」です。

世間一般から見たら、今の時代CDを始め、HDプレーヤーやIpodなどの素晴らしい精度のある電化製品が沢山あります。

勿論、私もこれをまったく使っていないわけではありません。

ですが、お店が暇な時とかにレコードをかけるのは「無駄」の中の「粋」な部分を感じてもらいたいからです。

私は、BARで酒を嗜むということは、まさに「粋」な部分を出せる場所だと考えております。

例えば、タバコに火をつけるときに使う火が、マッチだったりするとなんか少し嬉しく思うときがあります。

お酒も、昨今の健康ブームや若年層からすれば無駄な物なのかもしれません。

確かに嗜好品ですからね。

だけどもこの無駄さが、人間の心を豊かにするものだという事も忘れないで欲しい。

男のダンディズムとかそういうのも大事ですが、無駄の中にある粋も自分の中で見つけるのもいい人生を過ごすための大切な物かもしれませんね。

私もまだまだです。

そんな「粋」な男に憧れます。

#バーテンダーの独り言

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