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帰郷するとふと気がつく事

先日、用事があり仕事が終わってから久しぶりに実家へ泊まることになった。

正直実家へ帰るのは久しぶり。

ゴールデンウィークもない僕たちの職業にとっては、両親から帰って来いの言葉が多い。

でもまぁ妻の実家に比べれば近いものですから、いつでも帰ろうと思えば帰れるので別にいいのですがね。

今回は、妻は一緒ではなかったのである意味久しぶりに一人での帰郷となりましたが、たまにはいいものかもしれませんね。

帰る途中、その日はお店が早く終わったので知り合いのお店の前を回り道をして通りまだいるようならお酒は飲めないけど、寄って行こうかな?と思いましたが、まぁやはり暇なウィークデーともあってさすがにやっていない。

でもまぁ、これはしょうがないよね?と思い昔仕入れによく来ていた青果問屋さんの前を通りながら、
去年までよく通っていた道に懐かしさ感じながらも実家に車を走らせました。

実家に帰ると、!!!?実家の鍵を忘れた・・・。

仕方がないので、家に電話をして中に入れてもらうことに・・・電話口には母親の眠そうな声がした。(本当にごめんなさい)

家に入り昔の自分の部屋に入り起こしてしまった母親と近況報告をしながら久しぶりの自分の部屋で寝ることになった。

この時の話し方は、いつも遠州弁(静岡は東、中、西部で方言が結構違うことがあるので面白い。ちなみに袋井は西部地方になります)

なんか、久しぶりに遠州弁バリバリで話しているとちょっと気が楽になる。やはり地元の言葉には親しみがわくんです。

2,30分話をして、いささか悪いと思い話を中断して母親には寝てもらうことにした。

帰ると、昔のお客様からの第一子誕生の葉書が届いていたのでそれを眺めて、気がついたかのように昔の年賀葉書を読もうと引き出しにしまってあるだろうと思い覚えのある場所を物色しているともっと懐かしい物が出てきた。

それは、愛知時代にレストランで働いていたときの給与明細だった。

こんなのを大事にとってある僕も僕だが、ある意味これも思い出になる。

何ヶ月かの明細が残っていて、一番大変だったときの(殆ど無休でした)給与明細には残業、休出の時間が半端じゃない・・・。

この時ばかりは、普段よりも給料がかなりよくて正直20歳そこそこの若造がもらえる額ではない位のものだった。

でもまぁその代わりに使う時間もなかったのですがね。
いやぁ、懐かしいなぁ~と思っていると、僕が勤めた最後の月の明細書に入っていた手紙があった。

それは、辞める前の上司からの手紙でした。

上司は女性の方だったのですが、この方は日本舞踊のお師匠でもありこのレストランで何十年とパートをしておりこの道のプロでもありました。

接客においては、この方の右に出るものがいないくらい卒のないサービスは本当に勉強になったものです。

その方からの手紙にはこう書かれていました。

「長い間、本当にお疲れ様でした。これからの第二の人生を思う存分楽しんでください」

たったこれだけでしたが、とても嬉しくてまた、寂しくあったことを思い出しました。

この「第二の人生」というのは、バーテンダーとしての出発のときだったのです。

ここ最近まったく連絡を取っていなかったのですが、まだお元気にお店に立たれているのかな・・・。

久しぶりに実家に帰るとこういう思い出と出逢う時間があります。

そして今必要な時だったのかもしれません。

静岡へ移転をしてもうすぐ1年が過ぎようとしていますから・・・。

#バーテンダーの独り言

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