何がすごい訳でもないのに、スッゴイと感じる時がある。
落語家が客を笑わせるにしても、板前が肴を盛りつけるにしても、三遊間の当たりを何事もなく捌くにしても、当たり前の事をしているにもかかわらず何かが違うからこそスゴさが感じられるのだ。その何かが分からないからこそ、スッゴイのだ。そのスッゴさが分かっても、何故かが分からないからこそ、面白いし真似できないのだ。
無駄な動きが無いことが、美しさを与えているように思う瞬間がある。
プロスポーツ選手の動き・プロドライバーのブレーキングのタイミング・登山家の瞬時の判断・ヨットマンのセール操作等々、あげだしたら切りが無い。
何故そうしたかインタビューをしてみたところで、全く意味のない質問である。なぜなら本能的に動いたに過ぎないのだから。勝手に体が動いてしまうからこそ、無駄が無く、美しさを感じさせるものである。
本能的に体が動くと言うことは、やるだけやった後に始めて生まれてくるものであろう。
その中に、美しさが生まれてくる。
その美しさが、人を引きつける。
だからファンが出来る。
応えるために、益々磨かれる。
という循環が起こっていると思う。
プロの世界はこうして生まれてくるのではなかろうか。
私は何のプロ?
美しいのは姿だけでは、ホストにすらなれない。
髭でも剃ってみるか(笑)
#徒然なるままに