郊外型の古本屋では¥100で文庫や新書が買える。
貧困生活を強いられている身には、優しい価格である。
本は、新しかろうが古かろうが中身に違いはない。
蔵書として手元に残しておきたい本ならば新刊を買うのだが、漫文(漫画の絵の代わりに字が書いてある程度の文章)などは古本で十分である。
ライター時代にある出版社の社長が「一定時間経ったら消えるインクを発明したら大金持ちになれる」と笑っていた。どこの出版社もこぞって使うというのだ。
同じようによく利用したのが、いつの間にか消えた、名画座である。
中学から高校にかけて、当時の方が今より裕福であったが、2〜3本立てで¥500〜¥600だったように記憶している。(日活や新東宝ではありません。)
当時はビデオなどというものすら普及していなかった。ましてやDVDなど影も形もなかった。
試写会の申し込みをまじめにやってハズレたら、半年待って映画を見たものだ。
店で暇つぶしに読む本は、漫文でなくてはならない。読み終わった本が猛スピードで貯まっていくのは問題であるが。
お客様がお越しになったら即座にほっぽり出せる程度のもので、かつ奈良漬けの脳で理解出来る内容で、さらに辞書が無くとも読めるという条件をクリアしているものが要求されるのだ。
新聞でも読んで世界の情勢ぐらいは勉強すべきなのかもしれないと思いつつも、気になる記事の途中で放り出すと、お客様の相手をしながらも続きが気になるのでよくない。
競馬新聞はその点便利なのだが、週に2日しか販売されない。またギャンブルが嫌いなお客様の目には、あまり喜ばしいとは映らないであろう。
うちの商売はバーであり「時間と空間を売っています」とはいえ、飲んだら無くなる酒でお代を頂戴している。
しかも「何時までも 有ると思うな 酒と金」でやっているのだから、これほど御気楽な話は無い。
美味い酒は自分で飲んで、お客様に売る分が少ないのが大問題ということは、棚に上げておこう。
古本のようにリサイクルが効かないのはしかたがない。
本と酒に共通するのは、感動を与える事があるという点であろう。
大きな違いは、何時までも有るか、何時までもは無いかだ。
今日はまだ私の飲む美味い酒は残っている(笑)
#本