コニャニャチハ〜・・・貴重な資料を公開します猫マスターですう~ん・・・本邦初公開
という事でおそらくこれが本邦初公開的世界初公開になると思います
先日、竹鶴リタが樟蔭女子大学で英語の教師をしていたと言うお話をしましたが、その高等女学校第1期卒業アルバムには毛皮のコート姿を羽織った竹鶴リタ先生が、他の先生方と肩を並べて写っていらっしゃいます
この集合写真はリンク先のブログに掲載されておりますが・・・
それを樟蔭女子大学の顧問弁護士を務める弊社の顧問弁護士がコピーしてきてくれた拡大写真には・・・
ちょっと見にくいですが赤線の所にちゃんと”生先鶴竹”と言う文字が記されております
そしてこれがいよいよ本邦初公開の竹鶴リタ直筆履歴書だ!
1・2・3
ジャン!
この履歴書は竹鶴リタが樟蔭女子大学の採用面接を受ける際に提出された本人直筆の履歴書でございます
上記の履歴書を翻訳すると・・・
氏名:ジェシー・R・竹鶴
生年月日:1869年12月14日
父:詳細不明
母:詳細不明
現住所:大阪府住吉区帝塚497
学歴:1901-1904:家庭教師に付いて学習
1905-1908:レンジーアカデミー低学年終了
1908-1913:レンジーアカデミー高学年終了
1913-1916:グラスゴーにて英文学、フランス・・・音楽を専攻
※補足すると氏名はリタ夫人の本名です。(旧姓ジェシー・ロベルタ・カウン)
生年月日についてはこの履歴書には1869年生まれ書かれておりますがリタ夫人は1896年生まれですのでこれは明らかな誤植と思われます。
ちなみにリタ夫人の出身地イギリス・イースト・ダンバートンシャー・グラスゴー・カーキンティロックの場所は・・・
となってございますので映像はストリートビューでご覧下さい
そんなリタ夫人は大阪在住時代は帝塚山姫松界隈のみならず東大阪まで英語教師をしに行っていた訳ですね
住居があった姫松から樟蔭女子大学がある河内小阪に向かうその当時(大正10年)の交通手段を調べてみると・・・
バスの運行は大阪市営も私営も昭和に入ってからでしたのでバス通勤の可能性は無し
電車は阪堺線も南海電車も国鉄も近鉄もそろぞれ明治時代には既にありましたからおそらく電車で通勤していたのではないかと推測されます
そうなると有力な通勤ルート候補として・・・
コース1:姫松から阪堺線に乗って天王寺まで出て、そこから国鉄に乗り換えて鶴橋まで行き、そこから近鉄に乗って河内小阪までのコース。
コース2:帝塚山駅から南海電車に乗って難波に出てそこから近鉄で河内小阪までのコース。
リタ夫人は毛皮のコートを羽織って難波の街を颯爽と歩き通勤していたのでしょうか?それとも天王寺や鶴橋を経由して通勤していたのでしょうか?小阪に毎日通っていたのだから布施とかで途中下車したりしたのだろうか?
はたまた休日の竹鶴夫妻は難波や天王寺へは遊びに行かれたのでしょうか?もしかしたら少し足を伸ばして生駒山まで遊びに行ったかも知れませんね
なんか色々と妄想してみると楽しいですね
後に資料が見つかってオチが馬車通勤とか自動車通勤とかだったら笑えますね
以上、リタ夫人の直筆履歴書が発見されて、その貴重な資料をコピーして来て下さった弊社顧問弁護士スーパーグッジョブと言うお話でした
#日々の出来事