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ニッカファン マイウィスキー塾2008-②

少々の(かなりの)ダブりを気にせず、
宮城峡蒸溜所の魅力をお伝えいたしましょうface05

   

中川塾長(工場長)のあいさつ、伊藤講師の挨拶後、ビデオを見て
新川(ニッカワ)川の取水地へ。

『昭和44年、初めて仙台モルトの再溜原酒が蒸留機からほとばしり出た時、
竹鶴政孝は工場の全従業員百四十五人を集めた。
「会長(竹鶴政孝)は全従業員の前でティスティング・グラスに取った
原酒の香りを嗅ぎました。そして、「工藤、来い!」と私を呼ばれ、
「この原酒は新川の水が生んでくれたものだ。これをまず新川に返してこい」』
(琥珀色の夢を見るP103)
何回聞いても、感動の場面ですね。

蒸溜所の説明を聞いて(前回説明
木を切らなかった話は昨年を参照。昨年も雨ですな(;一_一)

話の間中、水か出っ放しなのが気になる(昨年迄は気づいていない)face08
ちょうど、公園などの水飲みの栓のとめ忘れface03
出っ放しなのですな(#^.^#)
新川の水をご自由に(*^^)v
呑んでいて、参加者に遅れてしまった(;一_一)

さて、開講のビデオは、宮城峡と製造工程の説明。
余市は、どちらかというと、創業者竹鶴政孝翁とリタ夫人のロマンが中心。
余市にはリタハウスがあったり、住居を敷地内に移築して夜に見学とか、
リタ夫人の影が一杯ですが、
宮城峡マイウィスキー塾はもとより、見学コース(参加したことはないが)でも
リタ夫人の影はほとんどなく、創業者のお話も、最初だけですね。

さて、前回の質問にありましたが、
リタ夫人の誕生日は、1897年12月4日生まれであります。
「リタとウィスキー」P27とP139で分ります。

続く・・・・・・・・・・

#宮城峡蒸溜所

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