昨日のブログでトニーズバー(Tony”s Bar)のことに触れたので、その続き。
残念ですが、ここには行き着けなかった。
新橋近くに来て探したのですが行けなかった。一度チャンスを逃すとなかなか機会が無いまま東京を離れてしまった。その後、トニーさんの訃報を聞く。
残念に思っていたら、姉のベティさんが引き継いでいるとのこと。
次回のチャンスを楽しみにすることに。
<以下夕刊フジブログ>
【オトコの「酒」「食」「旅」】
東京・新橋の十仁病院横のビル地下に「トニーズバー」という“伝説のバー”がある。創業は昭和27年に人形町。6年後に新橋駅前へ移り、東京オリンピックの年(昭和39年)から現在の場所に落ち着いた。(2004.12.21掲載)
階段を降り、店のドアを開けると、人一人歩くのがやっとという狭い空間に、流れるような木のカウンターが奥へと伸びる。入口付近に5席、奥に10席あり、中間部はスタンドバーだ。
驚かされるのは、狭い店内をギッシリと埋めたボトルの数々。「2300本ぐらいありますかしら。隅から順にワン・ショットで飲む方もいらっしゃいますが、皆、途中で諦めます」と語るのは、松下ベッティ・オーナー(74歳)。
“新橋にトニーあり”と言わしめた同店の名物バーテンダーが、オーナーの弟で、平成13年に亡くなった松下安東仁(トニー)だった。戦前、横浜で石油会社の社員だった英国人と日本女性との間に生まれたのが、姉と弟のアントニー。ところが、戦争が姉弟の運命を大きく狂わせた。
「父親が軍に連れて行かれて、半年後に亡くなった。弟は疎開先で終戦を迎え、将校クラブでバーの仕事を覚えさせられたんです」
戦後、英国から父親の遺産が送られて来て、それを元に始めたのが「トニーズバー」だった。
身体184cmで、彫りの深い顔立ちが特徴のトニーは、たちまち人気バーテンダーに。主婦だったベッティも、子育てを終えると、弟の店を手伝った。そしてトニー亡き後、彼の最後の直弟子、清水誠と老舗の伝統を守り続けている。
同店のお勧めは、スタンダード・カクテル。中でも「オールド・ファッション」は、昔風のバーボン・ベースで、グラニュー糖を加え、オレンジやレモンをあらかじめ絞って入れる、オリジナルの“トニー・レシピ”。懐かしさとほろ苦さが入り交じった逸品だ。
木製カウンターの最奥が、トニーの指定席で、「ここで弟に怒られたお客様も多かった。そうすると怖いから、入口にいる私のカウンターに寄ってくるの」と松下ベッティは笑う。
トニーは、酒に飲まれてしまった客や作法の良くない客、それに、店内で女性を長時間待たせた男性などを遠慮なく叱ったのだという。
それでも当時の詫びにと、長年の空白の後、再び訪れる客なども多く、「トニー伝説」は、時空を超えて現在も生き続けている。吉田健一、E・ブランデンなど多くの文人、詩人に愛された、知る人ぞ知る「名店」だ。
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#BAR(東京)