【理想のBARとは? それは可能か? 番外編②】
本日やり取りをした、モルト侍さまとの往復書簡をご紹介します。久々のシリーズ番外編です。
キンクレイスと侍の呟き を拝見して長文のコメントを書かせていただきました。
高額なモルトが増えたのは、中国・インド・台湾などモルトを楽しむ人口が増え需要が増したことと、むしろ日本に関してはプレミアムなモルトを楽しむ人口が減ってしまったことが何よりの原因だと考えています。 かつて1リリース300本は日本に入ってきて当たり前だったものが、いまや100本台もざらですから。かかる人件費はたいして変わらず、本数が少ないので売り上げも少ない。同じ粗利を出そうとすれば単価が上がるという部分もあるでしょう。 一方ではディアジオのマネージャーズチョイスなど、明らかに高上がりで、誰も触手が動かなかったものもありました。 僭越ながら申し上げます。 このたびの侍さまの議題については、私も意見がございまして機会があったらお話したいと存じますが、「リーズナブルのモルト=ボトル単価の安いモルト」だとは私は思いません。 http://blog87.usukeba.com/e55070.html
ぜひこちらもご覧ください。私も2社のオーナーですが、単価が安いから喜ばれるのではなく、中身が価格に対して上回る喜びを与えてこそユーザーに受け入れられるものと考えています。 つまりボトルであれば1本のボトルに同じ粗利をのせて提供した時、単純に単価が安ければ売れるとは限らないということです。 この価値のモノがこの値段で! と喜んで感謝する飲み手も多数います。 また私は楽器と同じで、入門者に廉価なものを奨めることが必ずしも良く作用するものではないと考えます。 どちらも人間の新たな感覚意識を育てるものだからです。 そしてお酒は飲まれてこそ本望と考えます。かなり強固な再梱包を経なければ芸術作品のように後世に残すとは言っても酸化には抗えないと考えます。飲まれて喜ばれてこそお酒なのです。 あれこれかき集めるとは言ってもそこには市場があります。買い手と売り手はWIN-WINであるはずです。 私のような者の考え方を受け入れられないプロの方も沢山いるとは思うのですが、逆により私以上にバーテンダーとして価値のあるモルトをマーケティングし、供給してくれる方もいらっしゃるのです。私はもちろん後者を支持します。 私は美味しいモルトを飲むために働いているといっても過言ではありません。そういった人間にはその需要をより想像以上に満たしてくれる方もいるということなのです。 大変失礼いたしました。 >>キンクレイス楽しみですね! |
次に侍さまから コメントありがとうございます。 にて返信を頂きました。
以下はその続きです。
ご返信を記事としてUPしていただいて本当にありがとうございます。 まずなにより最初の記事に対してのコメントでは私が変に間接的な表現をしてしまったために「何が言いたかったのか」はっきりしなかったと思いました。 ご指摘いただいた通り、私は侍さまがウイスキーに真面目でおられて、言論の場においても熱心に活動されているからこそ、わかっていただけるであろうからこそコメントを書かせていただいた次第です。むしろどちらかというと侍さまをこちらの側に引き込もうとしている人間なんです。どのようなテイスティングコメントを書かれるのかいつも楽しみにしています。 今回のコメントの背景にあることを全てあげるわけにはいかないのですが、まず私がブログをしている動機をお話しさせてください。 ・自らの記憶をより良いものにするため。 ・どんなボトルが美味しかったのかを公開して、他の飲み手と喜びを共有したり、参考にしてもらうため。 →開栓後時間が経った、中身そのものの真偽も今となっては疑問な、情報も少なく言われるがままであった飲み始めのころの経験からです。これは飲み始めの方にやさしい面もあると思っています。 このようなことが大きな部分を占めています。
では次にそういう私が、侍さまの記事のどこに反応したのか?を引用させてください。 ・「キンクレイス 40年」1杯と「1万円を超えるシングル・モルト」10杯と「さて、ジェイズ・バーのお客さんにはどちらが幸せか?」→後者を支持されていると解釈。 ・ウイスキーが始まったばかりという人たちに、優しい眼差しを送ってあげていただきたい。 ・とは言え、だな。モルト飲みとして、どうかね?と思う。このキンクレイスは「いや、むしろ、安いんじゃね?」と。間違いのないことから言わせていただくなら、「飲みたい」。 ・侍は今後ますます、ジェイズ・バーを「ウイスキーが始まったばかりの人」、あるいは「これからウイスキーを始めようと思う人」に優しいバーにしようと思う。 このあたりです。
結論を先に述べますと、侍さま自身が心から飲みたいと思うお酒を提供しなくては、飲み手は段階を問わず満足できないのではないですか?と申し上げたかったのです。
侍さまも私も「ウイスキーは飲まなければわからない」と思っている点では一致されておられると存じます。 私はもう少し言えば、「ウイスキーを人に教えることは難しいが、良い部分に共感することでそれは適い、それが唯一の方法」だと思っているのです。感覚というは極めて伝えることが難しいからです。そして共感するにもマスターが「ぜひ飲みたい!」と思っている酒でなければ飲み手はさめてしまわないでしょうか?共感とは上下ないものだと思うからです。 それがかなわない環境(侍さま自身が心から飲みたいボトルでない提供環境)は「ラベル酔い」を発生させる危険性があります。侍さまはプロになるぐらいですから美味しいお酒をたくさん飲まれてきたことでしょう。でも記憶はどんどん風化していきます。今まさに当時のボトルを飲めなければ現在のボトルに対して正しい評価ができません。ですのでご覧頂いている通り私はオールドボトルも出会うことができれば何度でも現在進行形で飲み続けたいと思っています(大半は初めてですが)。そうして自分の記憶を新しくしていたいと思っています。 未熟というのはしっくりこないので、ウイスキーを飲み始めた方々といいますが、そういった方々があるボトルは美味しい。。。と人からでもブログからでも書籍からでも見聞きすれば「その素晴らしいというボトルってどんなんだろう?」と思うでしょう。興味をそそられて自然です。 そういった面で私はウイスキーをもっと普及させるという趣旨においてはロビー活動をしている意識をもっています。ニューリリースも積極的に掲載しています。決してオールド賞賛一辺倒ではないですし、お酒自体については余程のことがなければ批判しません。掲載してきたお酒も結果MMA対象のボトルが多かったりということを考えても、決して偏屈ではないと思います。。。ですので飲み始めの方を邪魔にするような言動をしているなんて気持ちは毛頭ありません。 そうするうちにそういう飲み手が侍さまのお店を訪れたとします。興味をもった飲み手を真に満足・納得させるとするならば、その実物を出すしかありません。飲みながらいいところをリアルタイムで共有するのが一番です。 それを回避するのであれば、せめてマスター自身が常に「良いモルト」を飲み続けなければいけません。そのうえで飲み始めた方々にやさしいボトル選択を判断されなければおかしい話になってしまいます。常に新鮮で明確な感覚の定規を持ってこそ飲み始めた方々にその道を説くことができるはずだからです。キンクレイスをゲットされるのですからこの点はあえて申し上げる必要はないものと思っています。(ぜひブログにも感想などお聞かせください) 私はこないだ短くコメントしましたが、侍さま渾身の祭りの初日「コケた」と表現され、ケルティックやローガは好調と読むにつけ、「やはりお客はお酒を求めてくるのだな」と思いました。 お客の裾野を広げる、飲み始めた方々と聞くと学校教育に例えると、学校教育には決められたカリキュラムも教材も限定した形で用意されています。あとは教え方の問題です。 BARでのカリキュラムや教材がバックバーとするならば、それはバーテンダーさんの胸三寸です。ボトルも方法論も千差万別です。 ですのでこの2者は必ずしも一致しないとおもいます。 そうであるなら、侍さまなら容易にわかるでしょう、期待できるニューリリースのボトルなどは一通りご自身も飲むと同時に、飲み手にも提供されて美味しさや喜びを共有し続けてほしいなと思うのです。入門者にやさしいことも大切ですが、それだけではなく侍さまには常に最前線の飲み手としても土俵に立っていていただきたいのです。飲み手と共感し情報を共有してMMAの発表などを見たりすれば世界規模で喜びを共有できます。ウイスキーを楽しむ方法として素晴らしい方法ではありませんか? そして時々私のようなものとも味わいを共有したり、双方にとって新しい発見につながって欲しいとも思っています。
侍さまが心から飲みたいお酒=飲み始めの方に勧めるお酒ですか? 私は記事で、飲み始めの方々に今後提供するお酒はそうではないように感じてしまいました。やはり価格も大事ですが。 なによりこの部分が残念に思ってしまったのです。本当に裾野が広がるのかなと。 今回の例はキンクレイスで、侍さまは手に入れるお酒を共有しようとされていますし、ボトルの値段的には確かに安易ではないことは理解できます。(利益ゼロとおっしゃるのならフルショット30mlで5000円弱だとは思います。。。)注目しているのはこれからのボトルについてです。 続記事には現状に満足もしていないと表明されておられますので、上記の懸念は払しょくされたと思っていますが、飲み始めの方とご自身の飲みたいお酒の両立をはかっていただきたいなと。そうすればおのずと通われてる方にニューリリースの飲みっぱぐれもなくなっているのではないかなとそう思います。 私は常に飲み手目線で記憶論者ですから、良い経験が何よりであって、飲み始めであるかそうでないかは重要視しません。 ウイスキー好きはみんなその万華鏡のような味覚に翻弄されて行くようなものなのかもしれないと思っています。 |
#理想のBAR