MENU

悲しい物語、だが勇気を与えてくれる

仕事が終わり、ぽつぽつと雨が降り出してきた。
こういう日は、時間通りにお店を閉める事が出来る。
たまにこんな日には、DVDでも借りてゆっくりと映画を見ることがあるのだが、今日は何回も観ている僕の一番好きな映画。
「ブレイブ・ハート」をチョイスした。

この映画は、メル・ギブソンが監督をした物で自身も主演のウィリアム・ウォレスを演じている。
1296年 イングランド王エドワード1世が、スコットランドに侵攻。ジョン王が廃位されスコットランド王国が消滅し、「スクーンの石」がロンドン、ウエストミンスター寺院に持ち去られた次の年。

かの有名な戦い「スターリング・ブリッジの戦い」を描いている。

ウォレスは、残酷な王エドワード1世(パトリック・マクグーハン)が率いるイングランドの侵略で家族を皆殺しにされ故郷から遠く離れた異郷の叔父の下で成長し、懐かしい故郷に戻ってきた。
幼なじみのミューロンは美しく成長し、再会した2人は恋に落ちる。
そんな折り、イングランドはスコットラドの貴族を支配するため、“初夜権”なる悪法を復活。
それは領地内で結婚の決まった花嫁を略奪し、初夜の権利を貴族の男たちに与えるという非人間的なものだった。
花嫁を奪われるのを恐れたウォレスは2人きりで結婚式を挙げるが、ミューロンは彼の目の前でイングランド兵に殺される。
この時の、メル・ギブソンの沈痛な演技には心を痛ませる(T T)

復讐を誓うウォレスは、悪政に苦しむ人々と共に自由と解放を目指す抵抗軍を組織、彼のカリスマ性と指導力に魅かれ人々が続々と集まってきた。
1297年スターリング・ブリッジに、エドワード1世は抵抗軍を封じ込めるため、数千の大軍を送る。
3倍もの兵を相手に、ウォレスたちは敵の騎馬隊が接近した時にハリネズミのように槍で人馬もろとも突き刺す“シルトン戦法”という奇抜な戦略で圧勝した。ウォレスはスコットランドの貴族からサーの称号を与えられ、さらに国境の南でも勝利を収め、国民的なヒーローとなる。
予期せぬ強敵の出現にエドワード1世は、息子エドワード王子の妃イザベルを停戦交渉の使者としてウォレスの元に送る。
彼女は政略結婚によりフランスから嫁がされるが、王子は同性愛者で夫婦は愛のない生活を送っていた。
たくましいウォレスにひと目で魅了されたイザベルは彼の命を救うため、エドワード1世が密かに北に向かっているとの情報を伝える。
四方八方から囲まれ、窮地に陥ったウォレスは、スコットランドの貴族たちに援軍を求め、特に若い貴族ロバート・ザ・ブルースを信頼し協力を頼んだ。だが、らい病に苦しむ彼の父は、息子を国王にしたいがため、陰謀を巡らす。
1298年ファルカークにて、エドワード1世は総攻撃をかけてくるが、私利私欲に走ったスコットランドの貴族たちは敵に買収され、ロバートさえも戦場に現れずウォレス軍は大敗を喫する。(ファルカークの戦い)

しかし、ウォレスは裏切り者を暗殺し、ゲリラ戦を繰り返しながら再起に備えた。エドワード1世は停戦交渉に再びイザベルを送るが、ウォレスをより愛するようになっていた彼女は、彼と一夜を共にする。
一方、ロバートは裏切った罪の意識に苦しんでいたが、彼の父の仕掛けた罠により、ウォレスは捕らえられ、反逆児として裁かれることに。彼は群衆の前で、最後まで自由を求め続けながら極刑に処せられた。
この時のウォレスの最後の言葉「フリーーーーーダーーーーム!!!!!!」という言葉が耳からいつまでも離れない。
ウォレスは、死の直前にイングランド兵に殺されたミューロンの姿を見て、微笑む。
彼は、死によって初めて本当の自由を得れたことになる。

10年後、エドワード1世が没しエドワード2世に王位が変わった後、1314年バノック・バーンの戦いでウォレスの遺志を継いだロバート率いる軍がエドワード2世に勝利し、スコットランドに自由と平和が訪れた。

このウィリアム・ウォレスは、エジンバラ城に彼の勇気と愛国心をたたえ銅像として祭られている。

本当の愛、本当の勇気、自分の中の自由。
悲しい話ですが、勇気と言う物を教えてくれる作品です。

ただね?この物語は相当脚色されていて、フランス王妃とのロマンスはまったくのフィクションだそうです。
詳しくはこちらを見てください。

ウィリアム・ウォレス

#バーテンダーの独り言

この記事を書いた人