スコットランドのモルトウイスキー蒸留所の全蒸留所制覇に向けてよそ見せず、振り返らずに邁進する生粋のおバカちゃん参段です。
モルトウイスキー大全に載っているスコットランドのモルトウイスキーの全蒸留所は119あります。しかしキニンヴィはまだボトリングされていないのでこれを差し引くと118となります。今現在でwhiskycat1494にある蒸留所数は79です。全蒸留所を制覇するには手に入りにくい物や高~い物を含めてまだ40近く仕入れなければなりません。ゴールまでにはまだまだ遠く、険しい道が続いています。どんな困難にも負けずに頑張るぞぉ~!
先日開店してからすぐに”ガチャ”「宅配便で~す!」うん?何か買ったっけなぁ・・・そう思い荷物を受け取って差出人の欄を見ると・・・”モルト大好き”とある。おぉ~!ウスケバの兄貴からだ!何が入っているのだろう・・・そう思いながらダンボールを開けてみた。すると中には・・・”ジャーン”
うおぉぉぉ~!ボトルが3本も入っている。慌ててウスケバの兄貴に聞いてみると「今月中にそちらに行くつもりが予定が合わなくて・・・そのお詫びの気持ち」と兄貴は言いました。しかもまだ無かった蒸留所を3本も送ってもらってしまいました。シグナトリーVERY CLOUDYのストラスミル1992とマキロップチョイスのバルミニック1985、同じくノースポート1976。しかも1976は僕の生まれ年。それをまた選んでくれたんだなぁ・・・(感涙)
兄貴に送ってもらったボトルの解説をしなきゃ!シグナトリーVERY CLOUDYはその名の通りノンチル、ノンカラーで濁っています。またマキロップチョイスは風味豊かな強烈カスクストレングスです。
ストラスミルとは・・・ストラスミルのモルト原酒はJ&B等の原酒となっていて少し前まではオフィシャルはもちろんボトラーズ物もほとんで出回っていなかったらしくあのウイスキー評論家マイケル・ジャクソンですら「瓶詰め業者からも出てへんやんけ!」と嘆いていたらしいです。もちろん大阪弁では無かったとは思いますが(笑)スペイサイド地区のキースの町にあるストラスミルは前身が小麦やとうもろこしの製粉工場で、この時代の1880から90年代にかけて起きたウイスキーブームのおかげで改造可能な製粉、食品、ビール等の工場は全てウイスキー蒸留所になっていったそうです。ストラスミルが蒸留所に改造されたのは1891年でその当時はグレンアイラ・グレンリベット蒸留所と呼ばれていましたが4年後にロンドンの有名なジン業者ギルビー社が買収した時にストラスミル蒸留所と改められました。
バルミニックとは・・・スペイサイドの山深いトミントゥールの谷にジェームズ・マクレガーと言う人が建てたのがバルミニック蒸留所です。許認可蒸留所としてスタートしたのはあのザ・グレンリベットと同じく1824年ですが、それ以前から密造を行っていました。(※ビギナーの方の為に・・・スコットランドのモルトは1824年にグレンリベット蒸留所が認可を取りそれを他が追随するまでどこの蒸留所も税金逃れの為に密造をしていました)このバルミニックの免許取得の経緯はある日税金を取り立てに来た人がマクレガーの農場を訪れ盛大な接待を受けていました。その時ふと外を見ると不審な小屋が目につきました。「あれはなんでっか?」と問われるとジェームズは「あぁあれでっか?あれはあれはピート小屋でっせ。」と答えました。その後酒宴は大いに盛り上がった後帰りがけにその税金を取り立てに来た人は「あのピート小屋の為に免許は取りはった方がええと思うでぇ~」と忠告していったそうです。(もちろん大阪弁ではありません(笑)それからジェームズ・マクレガーは考えて免許を取得したそうです。これはモルトでは結構有名な逸話です。
最後にノースポートとは・・・ハイランド地区の東に位置するノースポート蒸留所は残念な事に1983年に突然閉鎖され1994年に取り壊されてその後に大型スーパーが建ってしまいました。ノースポートとは”北門”を意味する言葉でアイルランドの建築様式で建てられたラウンドタワーがそびえたっていたブレヒンという町には、かつて石造りの壁が町を取り囲む要塞都市であったらしく、その城壁の北門に建てられていたのがノースポートであったという事らしいです。
ウスケバの兄貴と言う強力な味方が現れ協力してくれたおかげでwhiskycat1494の蒸留所数は82となりました。おおきにぃ~!ウスケバの兄貴ぃ~!これからも頑張ってスコットランド全蒸留所制覇目指して頑張ります。
#新入荷ボトル