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会員制ニッカミュージアム

コニャニャチハ~・・・お酒の歴史を学びたい猫マスターですう~ん・・・上方

と言う事で日本のお酒の歴史は上方(近畿地方一円)にありでジャパニーズウイスキーの歴史は上方にあります

ちなみに今大阪大学ではものづくり上方”酒”ばなしと言うお酒マニアなら泣いて喜ぶ展示会をやっておりますのでご興味のある方は是非是非

さてそれに伴いまして?猫マスターがジャパニーズウイスキー発祥の地である大阪の某所にございます会員制ニッカミュージアムへ行って参りました

まだ正式に開館しておりませんので詳しい場所は言えませんがジャパニーズウイスキーマニアが泣いて喜ぶニッカウヰスキーのピーッがピーッされた場所です

某月某日、オーナー様のご厚意で特別に中へ入らせて頂きました

ニッカウヰスキーの設立総会が行われた芝川ビルの地下で見つかった戦中ごろのニッカウヰスキー

 竹鶴さんは熊狩りが趣味だったクマーなパブミラー?
 

棚には昔の記念ボトルやノベルティグッズが色々並べられております

デカボトル達

古いノベルティグッズ

リタ夫人との約束を果たしたスーパーニッカ

以下、このスーパーニッカの説明↓

「 最愛の妻リタ夫人が1961(昭和36)年に急逝する。葬儀の後、竹鶴は自室にこもって丸二日間、一歩も部屋から出なかったという。悲しみはそれほどまでに深かった。

だが、ウイスキーへの情熱が竹鶴をよみがえらせる。既に数種類の製品を世に送り出していたが、まだ十分に納得したわけではない。自他共に認める本物のウイスキーをつくること。それが自分の夢であり、リタと交わした大切な約束だった。既に67歳になっていた竹鶴だが、傍らには一流ブレンダーに育った息子もいる。今こそ自分の夢を実現する時ではないか。リタとの縁を生んだのがウイスキーなら、彼女を失った悲しみを忘れさせてくれたものもまた、ウイスキーだった。

竹鶴は息子の威(たけし、現相談役)と共に余市蒸溜所の研究室に入り、新しいウイスキーづくりに没頭した。ウイスキーの主流ともいえるブレンデッドウイスキーは、複数のモルト(麦芽)原酒とグレーン(穀物)原酒を混合してつくる。二人は貯蔵庫からサンプリングした原酒のテイスティングを繰り返し、理想のブレンドを追い求めた。

選んだのは、余市の原酒の中でも最高峰のものばかり。コクのある長期熟成モルト原酒と力強く華やかな若いモルト原酒を絶妙のバランスで混ぜ、柔らかな味わいの熟成グレーン原酒をわずかな配合でブレンドした。飲んでみると、口当たりはソフトでスムーズ。馥郁(ふくいく)たる香りが余韻と共に残る、素晴らしい出来映えだった。

完成した新商品には、特級ウイスキーの頂点にふさわしい「スーパーニッカ」という名が付けられた。販売は1962(昭和37)年の10月。」

ええ話やー

  
リタ夫人のアップルブランデー

りんごジュースから始まった大日本果汁のニッカアップルワイン

社名変更する(昭和27年)前の会社名の大日本果汁表記

チラッとご紹介するだけで申し訳ございませんがマニア心をくすぐる素晴らしいニッカミュージアムです

この会員制ニッカミュージアムにご興味がございます方は猫バー店頭で猫マスターにお問い合わせ下さいませ

 

#日々の出来事

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