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伊福部 昭@「音楽入門」。

伊福部昭「音楽入門」は、初版が昭和26(1951)年。



伊福部昭(以下、敬称略)は書く。
私事にわたりますが、私もまた音楽に興味をもった初めの頃は、無反省な音楽の溺愛者や、商業政策のために無理に誇張されたレコードの解説や、また誤った教師たちの意見に盲従するより外はありませんでした。そして実際につまらない作品に、自ら感動しようと努めたりも致しました。また、どうしても感動できない作品であっても、あまり評価の高いものであれば、自ら感動しているはずであると、自分に、いい聞かせたりもしたものです。しかし、これは実に間違った努力でした。いわば、音楽を聴きながら音楽を聴かないように努力していたというべきものでした。

名著「管絃楽法」の著者の、なんとも正直な告白。
ほかの音楽家なら絶対に吐露しない発言である。

「音楽は音楽以外の何ものも表現しない」というのはストラヴィンスキーの有名な言葉です。
わかりきったことなのですが、なかなか意味深そうなことを好む作曲家と鑑賞者が多いので、この言葉が吐かれたのです。
たとえばエリック・サティの無類の傑作である「ジグノペディ(裸形の頌舞)」と、有名なリヒャルト・シュトラウスの「ツァラストゥストラはかく語れり」とを比べてみましょう。
音楽の愛好家のなかには、このニーチェの哲学の背景をもつシュトラウスの作品に接すると、あたかも自分もまた哲学者ででもあるかのような荘重な面持ちで、その音楽いかんにかかわらず、大いなる感動を示す人が多いのです。一方、サティの「ジグノペディ」は外見も単純であって、極めて緩やかな一本の旋律が繰り返し奏される短少な曲なのでありまして、世俗的人気はシュトラウスに比ぶべくもありません。しかし、音楽を知る人であったら、その評価は完全に反対になるのです。「ジグノペディ」は人類が生み得たことを神に誇ってもいいほどの傑作であり、シュトラウスの作品は題名だけが意味ありげで、内容は口にするのも腹立たしいほどのものなのです。

サティに優しく、シュトラウスに手厳しいのにはわけがあった。

巻末の「解説「音楽入門」とその時代」片山杜秀)より一部引用、
「音楽入門」の書かれ方も、昭和20年代半ばという時代の空気と密接に関連している。
たとえば文芸評論家、小林秀雄が敗戦翌年に発表したエッセイ「モオツァルト」である。

エッセイ「モオツァルト」は、詩的な文章でモーツァルトの音楽の世界を表現した珠玉の一篇とされる。
解説者片山杜秀小林秀雄を評価しつつ、音楽の聞き手と伊福部昭について、次のように結論付ける。

これ(「モオツァルト」)はつまり音楽に於ける文学趣味である。あるいは音楽を人間のロマンティックな感情に即して語ろうとする態度である。
そういう「モオツァルト」自体の様々な細部、特に「涙」と「かなし」に触れた、言わば世間受けしやすい部分が一人歩きして、音楽に飢えた敗戦直後の日本人に、音楽を文学的かつロマンティックに解そうとする姿勢を植え付けるのに、大きく貢献したというのは、まぎれもない事実なのだ。
こうした世間の「モオツァルト」受容等々によって色濃く醸成された音楽を巡る文化的気分を、伊福部はよしとしなかったろう。なぜなら彼は、ロマン的というよりは即物的な美観の持ち主であり、文学は言葉によってのみ、絵画は色彩や構図によってのみ、そして音楽は音によってのみ語られるべきだと信ずるからである。音楽を味わおうとするとき、文学や美術や自然の風景を持ち込もうとするのは邪道と考えるからである。

伊福部昭は、別のインタビュー(2000.11.13収録。「ゴジラ」DVD特典映像)で述べている。
映画をやっている友人のなかには、あの当時は(「ゴジラ」は)ゲテものと思われていたから、
「音楽もそれをやったら終わりだよ。下りたら」と(親切に)助言されて、
「いや、真面目な写真(映画)だし、僕はどうしてもやるんだ」と言って(音楽監督を)やったんです。
新聞の批評も最初は「ちょっとゲテものだ」と書いてましたね。ただ、だんだん評価が上がった。

インタビューで見る伊福部昭は紳士で、優しい真摯な語り口である。
しかし「自己の感性に忠実であれ」という確固たる信念は、少しもブレない。

#音を楽しむ!

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