スコットランド留学から帰国した竹鶴政孝、リタ(以下、敬称略)夫妻が、大阪帝塚山・姫松の洋館で新婚生活を過ごしたことは、ご存知のとおり。
その洋館の貸主が、のちに大日本果汁(現ニッカウヰスキー)の設立発起人のひとりとなる芝川又四郎であった。
その芝川家の千島土地のHPに、政孝、リタ夫妻が住んだ姫松の洋館の所在について、たいへんに興味深い話が載っている。
■ 帝塚山姫松の芝川邸、竹鶴邸がどの辺りにあったのかは定かではありませんが、
と断わりつつも、
■ 又四郎の述懐とその頃の住宅地図からは、南港通り沿いに建つ当社の「帝塚山タワープラザ」(安藤忠雄建築研究所 1976年竣工)の南に竹鶴邸、その西隣に芝川邸が建っていたのではないかと推察されます。
としている。
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写真の右端が、阪堺電車上町線と、南港通が交わる姫松交差点。
南北(右上から斜め左下)の筋は、ちんちん電車上町線が走る道路。
姫松交差点から北におよそ30m歩くと、姫松駅。
ちんちん電車と東西に交差する幹線道路が、南港通である。
下は南港通を西に行った辺りを拡大したところ。
南港通の南側に建つ同じ形をした四つの建物(フラッグの場所)が、千島土地所有の帝塚山タワープラザである。
冒頭の推察によると、プラザの「南に竹鶴邸、その西隣に芝川邸が建っていた」。
ただ具体的に「どの辺りにあったのかは定かではありません」とのこと。
先日大阪へ行く機会があったので、周辺を歩いてみた。
ちんちん電車の阪堺電車上町線の姫松駅。
すぐ目の前が姫松交差点。
南港通を右折(西に向って)し、100mほど歩くと、
帝塚山タワープラザ(店舗併用の共同住宅)である。
プラザ脇の一方通行の細い道を入り、
一つ目の四つ角から、西方向を見たところ。
この辺りのどこかに竹鶴邸、その西隣に芝川邸が建ち並んで、若い政孝やリタ、又四郎や家族たちが行き交っていたと想像するだけで、充分楽しい時間だった。
新婚の政孝、リタ夫妻が借りた洋館を建築したのが、明治42年に橋口信助が創業した西洋式住宅の草分け「あめりか屋」。
橋口信助という人もなかなか興味深い人物のようだ。
(関心がある方は、<あめりか屋 住宅改良>で検索してみてください)
さて、冒頭に紹介した千島土地の記事は、コチラ。
芝川又四郎と大日本果汁筆頭株主の加賀正太郎、芝川と竹鶴政孝、加賀と竹鶴の関わりが語られて、たいへん興味深かく読ませていただいた。
記事の最後に、ビッグ・サプライズな写真が2枚。
1924年頃に撮影ということは、山崎の工場建設に邁進していた頃の、30歳の「あの人」である。
芝川又四郎が開発者のひとりでもあった帝塚山の住宅開発物語も、一読の価値は大いにあり。
#ニッカウヰスキー