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神谷傳兵衛(14) 花川戸と本所の工場。

神谷傳兵衛の初期の主力工場であった花川戸工場本所工場の話である。

明治13(1880)年 (傳兵衛24歳)
4月、東京浅草区花川戸4番地に「みかはや銘酒店」を開業。

傳兵衛花川戸の自宅に醸造場を造り、にごり酒を製造。
のちに輸入ぶどう酒を原料とした甘味ぶどう酒(「蜂印香竄葡萄酒」)や、輸入アルコールを原料とした速成ブランデー(「電気ブラン」)を製造する。
のちの花川戸工場の発祥である。

明治24(1891)年 (35歳)
「合同酒精社史」には、
「需要高(「蜂印香竄葡萄酒」)の増加に従い漸次花川戸の製造場を増築し、明治24年には同製造場内に宇都宮式酒精蒸留機を設備し、原料たる酒精の蒸留を為すに至れり。」とある。
宇都宮式酒精蒸留機の詳細は不明だが、明治28年にイルゲス式連続式蒸溜機が日本に初めて輸入される以前のことであり、単式蒸溜器だったと推察される。

明治25(1892)年 (36歳)
東京浅草区花川戸2番地に新しく791坪の土地を購入、営業所や住宅の改築を行なう。
本社および花川戸工場(第一工場)である。

【花川戸工場】



明治45年の花川戸「蜂印香竄葡萄酒」醸造場。
「神谷バー」の裏側にあった。

明治26(1893)年 (37歳)
傳兵衛、東京酒造組合頭取に選ばれる。
5月、東京本所区中ノ郷瓦町19番地(*)第二工場を設置。酒精焼酎の製造に乗り出す。
7月1日、酒精営業税法(**)が施行。

(*)現在の東京都墨田区吾妻橋3丁目8番地。
(**)アルコールの製造から使用まで一貫して取り締まる始めての単独法。

【本所工場】



工場前を都電向島線が通る。煙突には「デンキブラン」の文字。



需要増と法整備に背中を押されて、花川戸工場(ぶどう酒)本所工場(酒精)の建設だった。

【参考図書】
■ 神谷伝兵衛~牛久シャトーの創設者 (鈴木光夫著。昭和61年1月15日発行、筑波書林刊)
■ 特別展「カミヤの至宝」 (平成14年10月20日 合同酒精発行のカタログ)
■ 合同酒精社史 (合同酒精社史編纂委員会。昭和45年12月25日発行)

#神谷酒造・合同酒精

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