昭和22(1947)年
サンラック・ウイスキー(1.8リットル詰)を製造、販売。
サンラック(SUNLUCK)は太陽(SUN)と幸運(LUCK)を結びつけた極めて明るいイメージを与えると同時に、いうまでもなく「三楽」を連想させるもので、洋酒類製品に用いた。
昭和31(1956)年
サンラック・ウイスキーポケットびん(180ml)を製造、販売。
昭和33(1958)年
川崎工場、原酒製造を開始。
昭和34年発売のサンラック・ゴールド・ウイスキー。
びんの形がオールド・パーのそれに似ておりなかなかの好評を博した。
パクリか?(笑)
昭和36(1961)年
10月12日
山梨工場、竣工。
ウイスキー市場はますます拡大することが予想されたので、そうなると川崎工場の原酒生産だけでは明らかに限界があった。そこでウイスキー原酒およびブドー酒生産のための新工場の建設を決定した。工場の位置はブドー酒の原料調達条件などを考慮して山梨県とし、土地を物色中のところ昭和36年3月、山梨県鴨居寺(*)に用地が確保できたので早速建設に着手した。ところが同年4月に日清醸造との合併が実現した。そのためブドー酒製造設備の設置は中止し、ウイスキー原酒製造設備のみにしぼって、同年10月に完成をみたのである。
(*)山梨県山梨市鴨居寺43
昭和37(1962)年
7月1日
オーシャン(旧大黒葡萄酒)を買収。
下の「ある洋酒造りのひとこま」を読むと、山梨工場が竣工した前年10月には既に合併交渉に入っていたと推測される。実はウイスキー原酒工場も、本来は不要だったのである。
昭和40(1965)年
軽井沢工場の能力増強に伴って生産中断。
昭和42(1967)~44(1969)年
一時生産再開。
その後はウイスキー原酒の製造は全面的に中止し、貯蔵のみ行っている。
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「ある洋酒造りのひとこま」より、
昭和37(1962)年の年が明けて間もなく、三楽とオーシャン(旧大黒葡萄酒)の合併が発表された。発表早々、山梨製と軽井沢製のウイスキー原酒の比較検討についても三楽本社で検討された。両工場を併存続させる程ウイスキー販売が拡大している情勢でもないので統合すべきであると経営陣が判断したのではないかと推察できた。
早速三楽の製造部長から私宛に電話があって、急速に山梨に出張し、製造方法を検討して欲しいと言われたと記憶している。その後、オーシャンの技術担当成田専務から詳細な連絡と正式な出張命令があった。
2月中旬、約1週間の予定で、一抹の不安を抱きながら、小諸から小海線に乗って山梨蒸溜所に赴いた。広々とした敷地のなかに将来増設の余地を残した工場があり、醸造棟には効率よく立体的な機械器具がゆったりと配置されていた。軽井沢と比較すると近代的な設備を有する工場と見受けられた。
三楽本社から来ていた取締役のS製造部長とT工場長の説明を聞き、まず原料麦芽の粉砕から工程順にチェックした。発酵終了醪までの工程と品質のチェックにおいて、なんら異常は認められなかった。蒸溜室に歩を進めると、ドアーの取っ手や砲金製の器具が黒ずんでおり、室内はやや刺激的な硫黄臭が感じられ、蒸溜設備に問題があると考えられた。
ポットスチルの粗溜用はSUS(ステンレス)製14.5kl、精溜用はSUS製7.2klである。粗溜液にもミドルカットのニュー・フィリングにも、刺激的な硫黄臭を感じた。スコットランドでもコニャックでも国内のポットスチルもすべて銅製であるのに、なぜここではステンレス製なのか疑問を抱いた。SUS製ならば腐食しにくいので、合理性を追求する三楽では、一気にSUS製にしたのかと推測した。
紳士な著者は遠慮がちに書くが、当時でもステンレス製のポットスチルは非常識だったと思う。
現場のSUS製ポットスチルの改善策を検討し、大々的な改善を進言して結論としたのである。東京に立ち寄り結果報告した際、先代の鈴木八千代社長から感謝の御言葉を頂いたことが昨日のように思い出される。
【参考図書】
■ 三楽50年史 (三楽株式会社社史編纂室、昭和61年5月発行)
■ ある洋酒造りのひとこま (関根彰著。平成16年6月24日発行、たる出版刊)
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