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大山崎山荘美術館。

山崎蒸溜所へ来たら、必ず寄るところが大山崎山荘美術館
阪急・大山崎駅またはJR・山崎駅で下車して、10分ほど天王山麓を登ると(駅から無料送迎バスあり)、美術館はある。(写真は秋に撮影)




美術館本館は、ニッカウヰスキーの筆頭株主だった関西の実業家・加賀正太郎(以下、敬称略)が、自ら設計して建てた山荘で、文豪・夏目漱石も夫妻で訪れたという。
加賀の没後、所有者が何人か変わり、バブル期には取り壊してマンションを建設する計画が持ち上がったが、京都府から保存の協力を依頼されたアサヒビ-ルが、初代社長・山本為三郎と加賀の浅からぬ縁から山荘を買い上げて、美術館として蘇らせた。
現在は、山本が収集したコレクションを中心に展示している。
山荘の建物自体が、まず必見である。

「地下の宝石箱」と呼ばれる安藤忠雄設計の新館は、まわりの景観との調和に配慮した半地下式の美術館で、モネの睡蓮などを展示している。

加賀は多趣味な教養人で、ヨーロッパ・アルプスのユングフラウ(4,158m)に初めて登頂した日本人である。
また蘭の研究者としても知られ、山荘内で1,140種1万株を栽培していた。

山荘の見所のひとつが本館二階のバルコニー
眼下に木津川、宇治川、桂川が、大山崎の前で合流し(鳥井信治郎が山崎の地を選んだ決め手は、合流で発生する霧と湿潤な気候だった)、淀川と名前を変えて大阪へと流れる雄大な眺望が広がる。

竹鶴政孝・リタ夫妻と加賀夫妻は、自宅が近所で、リタが加賀夫人に英語を教えていたことから、政孝の山崎蒸溜所時代から夫婦ぐるみの親しいつき合いだった。
休日の午後、4人はバルコニーに座って、歓談したり、たまにはウイスキーをやっていた。
ときには鳥井信治郎・吉太郎親子や芝川又四郎、山本為三郎らも集(つど)って、山荘はサロンと化していたのでは・・・と、想像するだけで楽しい。
晴れた日、清々しいバルコニーで物思いに耽っていると、あっという間に時間が経ってしまう。




せっかく山崎に来て、大山崎山荘美術館を訪ねないのは、ウイスキー好きにはもったいない話である。

#Whisk(e)yの逸話

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