MENU

黄昏に乾杯

中年になっても未だ文学青年のGさん(仮名)、聞き耳をたてて話を聞いているだけでも勉強になります。 開高 健がお気に入りのようで、現在「地球はグラスのふちを回る」を愛読しているようです。

そのGさんに昭和60年に発行された「THE  WHISKY  琥珀色のワールド・カタログ・バッカスコレクターズ編」に掲載されている開高 健のコラムを紹介するといたく気に入っていただきました。 

私はただウイスキーボトルが掲載された古い本が欲しくて数年前に購入したのですが、開高 健 の記事があったのでびっくり。 昔、ウイスキーのCMで幻の淡水魚“いとう”を探し求めて釣る姿、そして川に感謝しウイスキーを指につけてはじいていた姿は今もよく覚えています。 それと同時期でしょうか? 「ブランデー水で割ったらアメリカン!」と外国人の有名女優を使ったCMも懐かしく思い出されます。

この文章はバブル期に訪れたカクテルブームや旨みを凝縮したウイスキーやブランデーを割って飲む飲み方を痛烈に批判しているように思われます。
勿論、ストレートで味わえればそれに越したことはありませんが、開高 健のような豪傑はなかなかいるものではありません。 

昨今のシングルモルトブームに加え、空前のハイボールブーム、そしてドラマ“バーテンダー”を彼は空の上からどう見ているのでしょうか?

全文を手を加えずに紹介します。

「黄昏に乾杯」  開高 健
現代は小さい時代である。生に生で立ちむかう気力を失って、すべてに間接接触するだけで満足している。
ウイスキーがそうである。ときには正真正銘の生無垢というものを味わわねばいけないのに、割ったり薄めたりばかりしている。いい若者が女の子のかげから、「ボク、ジン・フィーズ」などといっている光景を見ると、つくづく民族の未来が憂えられてならない。
ウイスキーはやはり生でやってほしい。瓶をドンとおき、ピッチャーに清冽な水をなみなみとみたし、ゆったりとすわって大いなる黄昏を迎え入れるという具合であってほしいのである。舌やのどでのむのもよろしいが、歯ぐきで味わうのが賢人のふるまいである。
ここはいちばん味のわかる箇所なのだ。それをみんな忘れている。
ウイスキー一口、水一口、ウイスキー一口、水一口、そうやって純から艶までをふくむ広大な一滴を味わいつくす。西部劇の暴れン坊が一息にカッとあおるのは一説によれば酒がマズすぎたからで、真似は感心できない。瓶ごと冷蔵庫で冷やしている人があるが、これは聡明なやりかたである。
また触覚と味もきりはなせないものである。ウイスキーは爪楊枝入れみたいな小さなシングル・グラスより、切り子も色もついていない、底の厚い、大きく重いオールドファッション・グラスにすこし入れて飲むのがいちばんである。
あのグラスは、もと船員が船のなかで使っていたグラスである。船はゆれるから酒がこぼれやすい、そのため底がズシリと厚く重くて安定のよいデザインが考えられたのだ。
鉛をたっぷり入れて重くし、屈折度のキラキラと高い、クリスタルのオールドファッション・グラスでゆうゆうたのしんでいる人を見ると、小憎たらしくなってくる。
あの単純明快で重厚な形と線はたいへん私に魅力を感じさせる。
かくて、われらは今夜も飲む。たしかに芸術は永く、人生は短い。しかしこの一杯を飲んでいる時間ぐらいはある。
黄昏に乾杯を! 
 
 

#雑談

この記事を書いた人

前の記事
次の記事