8月6日に書いたように、じゃんけんで負けた私は、キープ券を保管する羽目におちいった。家に置いておくのもまずいし、といって学校内で見つかるのはもっとまずい。とりあえず、薄手の黒い紙で包んで、定期入れに入れて持ち歩いた。
6月にはいると、制服が夏用の白いカッターシャツになる。定期入れの秘密は、胸のポケットに収まって、毎日私地一緒に通学する日々が続いた。
ある日、そのカッターシャツから定期入れを出し忘れたまま、洗濯カゴへほりこんでしまった。母親も気づかぬまま、洗濯してしまったようだ。定期券とキープ券が、仲良く並んで、風呂場の窓にへばりついていた。ついでに、黒い紙まで干されていた。その黒色は、葬式のイメージにピッタリ。 シマッタよりもヤバイが、私を包み込む。が、よく考えると、一言も叱られていないことに気づいた。なんとなくの不気味さはあるものの、大目に見てもらえたのかとも思っていた。
数日が過ぎ、夏休みに入ったある日、買い物の後、食事に出掛けるという話になった。大阪の南にある大きな中華料理店で、フルコースだという。私はもちろんホイホイと付いて行った。デザートの杏仁豆腐を食べかけた時、父が、
「あれ持ってるか」と聞く。
「何?」
「キープ券やがな」
杏仁豆腐は、一瞬にして、甘味も酸味もない、グニュグニュジュルジュルと化した。
やっぱり知ってたんだ。当たり前といや当たり前だが。覚悟を決めて、定期入れから、ソローッとゴソゴソ取り出して渡した。突然父が、
「お母ちゃんは先に帰っといて。俺、こいつともーちょっと飲んで帰るから。」
と言い出す。
何が起きようとしているのか、全く想像が付かない私。父親と一緒なら、飲みに行っても誰も怒らないよな、などと安易に考えていた。そこで、例のパブへ。
「いらっしゃいませ」の清く明るく美しい声がお出迎え(前といっしょ)。
父親と並んで、堂々とカウンターに付く(ここは大分違う)。キープ券を出すと、しばらくしてボトルが出てきた。首に数字を書いた札がぶら下がっている(前と違う)
「おい、どーやって飲むねん?」と父。
「コークハイ」と私。
「じゃ、それを2つ」
「息子さんと一緒ですか?いいですネ」とバーテンダー?コンパニオン?ホステス?さん。何も答えない父。
少し口を付けたとたん、
「うまない酒やな」と私の耳元で父が言う。と同時に
「計算して」と立ち上がる。
私もあわてて立ち上がる。
店の人も立ち上がる。
前に立ってる?さんは、頭の上に???
表に出るなり、タクシーを止め
「北の新地まで」
当時の私には、それが何処にあり、どんな所であるかなどは、全く知らなかった。今でも、よくは知らない(といことにしておこう)。料亭・クラブ・ラウンジ・バーなどの集合団地に、高校1年の、やっとちんちんに毛が生え始めたガキが、用のあろうはずなどない。
どっかのビルの2階へ上がっていく父。ネオンと黒い服のお兄さんに圧倒されつつ、付いていくしかない私。どっかの店のドアを開ける父の姿に、新しい一面を発見していた。
「あ~ら、いらっしゃい」
「先生、ひさしぶり」
と、清く明るく美しいが、ちょこっと色っぽい、マニュアル通りとは違う、画一化されていない声でお出迎え。
「息子さんと一緒ですか?いいですネ」と、店のママさんらしい人が、父の横にペタ。
私の両側にも、ホステスさん(おかんよりは大分に綺麗なおばちゃんたち)がペタペタペタ。
「ぼちぼち、酒の飲み方ぐらいは教せとかんとな」
それから、しばらくはその店にいた。何がどう楽しいのか、酒の飲み方はこんなものなのか、よく分からん時間が過ぎていった。香水の匂いだけが、染み込んで来るように思えた。
帰る時になって
「送っといてな」と父。
「はい。いつものように。」とママ。
「???」と私。
父、私、ママ、ホステスさんが、ゾーロゾロと1階まで。
「男ちゅうもんは、こんな風に酒を飲むんや」
堂々と威厳を持って、父が宣言した。
ふ~む、なるほど。納得したような、そうでないような。どんな風なのかよく分からないが、とりあえず、大学に入るまで、ビール以外の酒を自主的に飲むことだけはやめにした。
#ジャパニーズ