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夏休み

 夏休みに入って、昼間から子供達の甲高い声がビルにこだましている十三である。
 そこへ、蝉の声。染み入る岩など無いので静けさを感じるどころか、ビルにこだまし暑さを増長させてくれるだけで、俳句をひねる気など起きない。
 追い打ちを掛けるかのように、パトカーと救急車のサイレンが容赦なく24時間鳴り響く。

 サラリーマン時代はかろうじて盆休みなる夏休みをもらえたものだが、一匹狼となってから夏休みなどという言葉には縁遠いものである。もう15年以上になるのだとシミジミと思ったりもする。
 フリーライター時代も仕事のない日が続いたこともあった。今も閑古鳥ご一行様が居座る日もある。が、これは休みではなく、休まされているだけなので、イライラはあっても、ワクワクは無い。

 小学生時代は、夏休みが近づくにつれワクワク感が高まっていったものだ。
 夏休みの宿題に、毎年必ず「日記」を書いてこいというものがあった。そんなことは百も承知なので、夏休みが近づくと一夏のスケジュールを立て、休みに入る前に日記を書き上げる。朝起きたら、その日記に天気だけを書き込み、その日のスケジュールに合わせて遊ぶ。追加すべき事項が有った場合のみ、加筆して仕上げたものである。

 何年生だったかは忘れたが、低学年の夏に1週間ほど一人で父の実家に遊びに行った。
 もちろんスケジュールに書いた通りの行動である。両親にもう少し短い期間にするように諭されたが、日記を見せて今更書き直せないからと強引に認めさせた。電話で祖父に確認したら、大喜びで来いと言ってくれた。
 勉強しろだの片付けろだの、毎日頭の上から降ってくる母の声から解放されるのだから、当時としては天国で過ごす1週間である。毎日遊びほうけ好き勝手をしまくって、あっという間に過ぎて行った。

 家に帰って父の第一声は、「おじいちゃんとおばあちゃんは喜んでくれたか?」だった。
 「2回も喜んでくれたで」
 「ほう。2回も喜ばしたんか。そりゃ良かった。」
 「うん。着いたときと帰るって言ったときの2回、喜んでくれたで」(笑)

#徒然なるままに

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