子供の頃は、アンテナの立っている家はテレビがあって、テレビがあると言うことは金持ちだと思っていた。
4歳になって自分の家にも、白黒テレビが来た。でも昔からアンテナのあった家のテレビは、カラーに変わった。
今や大阪では、テレビのアンテナを見ることの方が少なくなっている。地デジやケーブルに変わっているのだ。子供がアンテナのある家を見たら貧乏だと思うようになる時代が、来る日も近いかも知れない。
人間としては常にアンテナを張っておく事は重要だと思う。
仕事関係のことに関しては当然であるとしても、それ以外の部分にいかに興味を持って日々過ごすかで、コミュニケーションの幅が広がるであろう。自分がやらないから関係ないのではなく、やらないからこそその中に有益なヒントが隠されているように思えてならない。
知りたいことが出来て初めてインターネットで検索して、その答えだけを最短距離で見つけ出すことも可能である。図書館に行って辞書やら関係のある書籍やらを引っ張り出して調べるのは、寄り道しながらになるので時間も労力もかかる。
しかし、ついでに要らない部分も読んでいて、それが後々役に立つこともまれにある。面白そうな本を見つけて、借りて帰ったらはまってしまうこともある。
「仕事に追われ、子供に追われ、家事に追われ、自分の自由になる時間がない。」などというのは、誰もが言い尽くした言い訳でしかない。
アンテナを張っていると、自然と色々な情報が入ってくるものなのだ。その情報を記憶に留めるか、捨ててしまうかはその人の勝手なのである。アンテナが高ければ高い人ほど、何かと関連づけて記憶しているのだと思う。
芸能関連およびスポーツ関連に対する私のアンテナの低さ加減には自分でも呆れるが、それ以外の分野に関しては興味津々である。そうなると、見るもの聞くもの全てが楽しくなる。
財布の中身だけはいつ見ても悲しくなるのだが・・・。
#徒然なるままに