常磐線牛久駅のシャトー口(東口)を出て7、8分歩くと、周囲をこんもりとした木々と生垣に囲まれた神谷傳兵衛創設のシャトー・カミヤがある。
竣工当時の醸造場の建物は、今のような生垣に囲まれていなくて、160町歩(1町歩=9,917㎡)の広大な葡萄園のなかにハダカで建っていたので、葡萄園のどこからでも見えたことだろう。
上の写真を撮った場所から振り返ると、すなわち道路を挟んだシャトー正門前に、申し訳程度の葡萄畑が残されていた。
往時は見渡す限り神谷の葡萄畑だった。
それは視界の先の現在の住所が神谷1丁目~5丁目であることから、推して知るべしだ。
160万㎡のシャトーのなかを、醸造場の建物を中心に延べ6kmのトロッコが縦横に敷設され、その一端は牛久駅まで伸びていた。
時計台のある二階建て事務室および本館。
CHATEAU D.KAMIYAの文字。
残された記念写真の多くは、この場所で撮影された。
正面には地下室を持つ二階建て醗酵室。
当時の作業写真を見ると、醗酵室の建物内までトロッコの線路が敷設されていたことが分かる。
左は増築された貯蔵庫(現在はワインショップとして使われている)。
1階貯蔵庫。
2階は「神谷傳兵衛記念館」になっていて、興味が尽きない資料が多数展示されている。
右上に縦書きで「蜂印香竄葡萄酒」、左下に横書きで「近藤利兵衛商店」と書かれたポスター。
神谷の文字はない。
「葡萄酒の商標争い」の注意書も、売捌元近藤利兵衛商店が差出人であった。
記念館には要人が来園したときの古い記念写真が多数展示されているが、神谷傳兵衛、傳蔵親子と並んで、近藤利兵衛が写っている。
製造の神谷、販売の近藤の役割が徹底されていたことが窺い知れた。
地下貯蔵庫。
独立して建つ貯蔵庫。
現在は、レストランとして使われている。
晴れた日は、前庭でランチがお薦めだ。
シャトー・カミヤ製地ビール(敷地の一角で醸造)で、のどを潤おし・・・。
土産は定番、香竄葡萄酒、電気ブラン(40%、30%)。
こんなデンキの缶も・・・。
シャトー・カミヤを訪れた日は快晴で、神谷傳兵衛に思いを馳せながら、冷えたビールをチビリチビリとやるのは至福の時であり、時間の経つのが早かった。
最後に、
おぼろげにしか知らなかった神谷傳兵衛を調べるうちに、近藤利兵衛と神谷伝蔵(二代傳兵衛)という傳兵衛の強力な協力者の偉業を知ったことは大きな喜びだった。
ただ残念なことは、神谷酒造は葡萄酒と電気ブラン、合同酒精は焼酎とアルコールが看板商品である。伝記や社史は看板商品を中心に語るために、傳兵衛が国産アルコールを使って初めて調合したウイスキー、戦前のエアシップ・ウイスキー、神谷酒造が終戦から合併されるまでの間に発売した可能性があるウイスキー、合同酒精のネプチューン・ウイスキー、同社が自社生産したとされるモルトウイスキーなどに関した情報がたいへん少ないことだった。
このまま忘れ去られてしまうとしたら、本当にもったいないことだ。
#神谷酒造・合同酒精