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オーシャンの系譜(10) 三楽50年史が語る「オーシャン」。

昭和21(1946)年
大黒葡萄酒、「オーシャン・ウイスキー」を発売。

昭和24(1949)年
洋酒に対する公定価格の廃止。
(旧)酒税法改定。3級ウヰスキーの原酒混和率を「30%未満」から「5%未満」へ。

ニッカウヰスキー竹鶴政孝(以下、敬称略)は、法改悪に抵抗する。

「ヒゲのウヰスキー誕生す」(川又一英著)より。
原酒屋になろう。
3級ウイスキーには手を出さず、原酒屋として耐え抜いてみせる。
確かに原酒を売り出すと、すぐに買い手がついた。30数社をかぞえるウイスキー業者のうち、原酒を造ることができたのは大日本果汁や壽屋、東京醸造など数社に限られていたから、原酒は全国の業者に歓迎され、引き取られていったのである。

昭和25(1950)年
竹鶴政孝株主らに説得されて、泣く泣く3級「スペシャルブレンド」を発売(8月)。

実際にウイスキーに自由販売がみとめられたのは、昭和25年のことである。
以降、ウイスキー原酒の含まれる比率の低い3級ウイスキーを中心に自由競争時代へと突入して行った。

昭和27(1952)年
大黒葡萄酒、塩尻工場で原酒(モルトウイスキー)の製造開始。

昭和28年
(現行)酒税法制定。
「1級、2級、3級」を、「特級、1級、2級」に変更(平成元年に級別廃止)。
・(旧)酒税法の「3年間樽貯蔵の規定」を撤廃。

昭和29(1954)年
「オーシャン・ウイスキー」(本格ウイスキー)を発売。

昭和30(1955)年
軽井沢工場を建設。翌31年2月中旬、製造開始。

塩尻蒸溜所は昭和30年11月まで稼動したのち、閉鎖。
あまり品質がよくなかった塩尻原酒は、2級(旧3級)のオーシャンウイスキーに混和したことは分かっている。
以上のことから昭和30年代前半までの「オーシャンウイスキー」には、ニッカウヰスキーの原酒が混和されていたと推測される。

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「三楽」「サンラック」に多くのページを割く三楽50年史が、大黒葡萄酒「オーシャンウイスキー」の成立について語るのは、僅かに二ヶ所である。



その①
戦後は占領軍の駐留などもあってウイスキーの需要が一段と増加したため、大黒葡萄酒も甘味ぶどう酒に加えて、ウイスキー部門に力を入れることになった。
すなわち、当初はニッカウヰスキー竹鶴社長と交渉し、同社にアルコールを提供するかわりに原酒(モルトウイスキー)を分けてもらい、これでオーシャンウイスキーを製造・販売した。やがて昭和27年からは塩尻工場で自らウイスキー原酒の製造を開始した。

その②
当初、3級ウイスキーとしては、宝酒造のアイデアル、東京醸造のトミー、壽屋のトリス等があり、これらはすべて本格品ではなかった。オーシャン宮崎社長は、3級品に原酒を混入した製品を作りたいと思い、ニッカウヰスキー竹鶴社長と相談し、同社へアルコールを供給する代替としてモルト原酒をもらいたい旨伝えた。竹鶴社長はこれに賛同し、オーシャンは新製品を出してくれ、それによってニッカも同様の新製品を作りたい旨答えた。ここでオーシャンはモルト原酒を入手する道が開けたのである。オーシャンは国税庁の了解を得て、原酒混入の3級を本格モルトウイスキーと銘打って、当時人気の写真機キャノン付きの販売を開始したのである。昭和29年のことである。

さて、その②の記述である。
木に竹を接いだような文章から、「オーシャンウイスキー」の成立を正確に読み取れる読者は、果たしているのか?

「・・・オーシャンはモルト原酒を入手する道が開けたのである」まではその①と同じ内容で、「ニッカオーシャンに原酒を供給した」ことが分かる。
しかしその①その②「当初」が昭和何年かの記載がないため、この文章から昭和21年の「オーシャンウイスキー」成立の経緯なのか、あるいは昭和24年の酒税法改正に対する対処なのか、読み取れない。
社史正史であり、美文ある必要は無いが、5W1Hは正確に記さなければならない。
社史編纂当時、当事者の二代目宮崎光太郎は相談役で在籍していたし、経緯を知る元社員も存命だったが、社史は正確に記さない。

オーシャンは国税庁の了解を得て・・・」からは、昭和29年発売の「本格オーシャンウイスキー」の話だが、正確を欠く。
当時、高級品だったカメラを付けて売り出した本格ウイスキーが3級のはずはなく、特級だったはずである。
まして昭和29年は3級の級別呼称はなく、前年に2級に変更されている。
酒造会社は酒税法の専門家であって、そもそも級別を間違えることがおかしい。



社史編纂委員会の推敲と校正が甘かったですまない話だろう。

社史発行当時、
三楽 (合成清酒)、
サンラック (甲類焼酎。本格焼酎とされるのは乙類)、
メルシャン (本格ワイン)
と並んで、
オーシャン (ウイスキー)
は、総合酒類メーカー「三楽」の商品群の大きな柱だった。
推敲を重ねたはずの文章には、「オーシャンウイスキー」というブランドに対する、敬意、誇り、誠実、正確、熱意が感じられないと思うのは私だけか。

【参考図書】
■ 三楽50年史 (三楽株式会社社史編纂室、昭和61年5月発行)
■ 「ヒゲのウヰスキー誕生す」 (川又一英著、1982年、新潮社)

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