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もし僕らのことばがウィスキーであったなら

「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」

ウイスキー飲みの聖典(!)、村上春樹さんの名作です。

曰く、

『もし僕らのことばがウィスキーであったなら…僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む、それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。しかし残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。僕らはすべての物事を、なにか別の素面のものに置き換えて語り、その限定性の中で生きていくしかない』

悪友の勧めでラフロイグ10年を飲み、シングルモルトにはまりこんでから10年足らず。
最近になってようやく少し、味の違いや、香り、風味、等々分かるようになってきました。
でも、これは美味しい!というお酒に出会ったときにいつも困るのが、この美味しさをどう言葉で表現したいいのだろう、、、ということ。そういう時は、本当に、自分の言葉がウィスキーだったらどんなにいいだろう、と思います。喋っているだけで酔っ払えるし(笑)

とはいえ、Bar通いを続ける中で、マスターの方の懇意にしていただき、美味しい酒を飲ませてもらったり、面白いイベントに参加させていただく機会が昨年になって急増したので、せっかくだから、拙いなりに言葉にしていこうと思って、blogを始めることにしました。何せ遅筆な上に、スイッチが入るととんでもない飲みペースになるので、どこまで追いつけるか分かりませんが、どうぞお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

春樹さんはこうも言っています。

『でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある。そして僕らは…いつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。もし僕らのことばがウィスキーであったなら、と』

飲み続け、ことばにし続けることで、いつか、言葉にせずとも味が伝わるような幸福な瞬間を迎えることができれば、と。

#雑文

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