88年前1923年(大正12年)は、関東大震災が起きた年でもあるが、
寿屋(現サントリー)、鳥井信治郎氏が、日本で初めてウィスキー造りに、
乗り出した時でもある。
1924年(大正13年)11月11日に山崎蒸溜所が竣工された。
記念すべき、最初に蒸溜された原酒の、第1号樽はスペインからやって来た
シェリー樽! その時の和製(国産)蒸溜釜は、今も、山崎蒸溜所敷地内に、
凛として置かれている。 その時の、製造総責任者は竹鶴政孝氏
(後の、ニッカウィスキー創始者)である。
10年間の、雇用契約だったそうだ。
今やジャパニーズ・ウィスキーは、世界に認められているが、先人者、
特に鳥井信治郎 / 竹鶴政孝両氏の熱い信念・努力を忘れてはいけないし、
感謝をせねばならないだろ。
当然、ブレーンの方々もそうである、継承された方々にもである。 \m(__)m