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東京再発見「本多横丁」イラスト

神楽坂最大の横丁。江戸中期から明治初期まで、この通りの東側全域が
本多家の屋敷で「本多修理屋敷脇横町通り」と呼ばれていた。
一本路地を入ると、石畳の路も残り、料亭街の
雰囲気が漂う。

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