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伊福部 昭@クラシック作曲家と教育者の顔。

「ゴジラ」音楽で知られる伊福部昭(以下、敬称略)は、クラシック音楽(正確には現代音楽。のちに解説する)の作曲家としての顔を持っていた。



大正3(1914)年5月31日、伊福部昭は北海道釧路町に生まれる。

直前にはイーゴリ・ストラヴィンスキーの3大バレー、「火の鳥」(1910年)、「ペトルーシュカ」(1911年)、「春の祭典」(1913年)が初演されている。
またモーリス・ラヴェル「ボレロ」が初演されたのは、1928年。
伊福部昭の少年、青年時代の現代音楽が、今のクラシック音楽なのが分かる。

子供の頃に、アイヌと親しく交流し、彼らの歌や踊りをはじめとする伝承芸能に深く感銘を受けたという。
作曲を独学で勉強するようになったのが、13歳の頃。
北海道帝国大学農学部林学実科に入学、管絃学部のコンサート・マスターを務める。

オーケストラのような本格的な作曲に手を染めたのは、3、4年になってからです。きっかけはストラヴィンスキー「春の祭典」です。レコードで聴いてもう驚いてしまって・・・。こういうのが音楽というなら、アイヌのタプカーラやリムセも全部似たようなものですから、それなら自分でも書いてみようか、書けるんではという気になってきたんです。
バッハとかモーツアルトとかヨーロッパのものは立派には思いましたが、それ以上には感じませんでした。
 (北海道新聞「私の中の歴史」(1985年)のインタビューより)

昭和10(1935)年)、大学を卒業し、北海道庁厚岸森林事務所に勤務。
同年、パリでアレクサンドル・チェレプニン賞が催されると、「日本狂詩曲」を応募、審査員全員一致で第1位に入賞する。
翌年、アメリカで初演され、好評を得た。

「日本狂詩曲」は、初めて作曲した管弦楽曲(作品2番)。
作品1番「ピアノ組曲」は、1938年のヴェネチア国際現代音楽祭に入選。

林務官というのは、冬になると、ヒュッテにひとりでこもっているから、身を入れて勉強出来るんですね。吹雪の時なんか山を見回らなくていいので、完全に一日休めるわけです。
ヒュッテにはギターとバイオリンを持ってきまして、ランプの光の中で「土俗的三連画」という曲を書きました。昭和12年ですか。小さなオーケストラでしたが、この曲をチェレプニンに献上しました。
 (同インタビューより)

昭和21(1946)年、上京。
東京音楽学校(現東京藝術大学)学長小宮豊隆の招聘を受けて、作曲科講師に就任。
門下生には、芥川也寸志黛敏郎矢代秋雄石井眞木など、俊英多数。

昭和22年、東宝のプロデューサー田中友幸の招聘を受けて、映画音楽監督。

昭和28(1953)年、「管絃楽法」(上巻)を出版。(下巻は昭和43年刊)
東京音楽学校作曲科の教科書となる。
上の写真に写っている分厚い本が、「管絃楽法 上巻」。(上巻だけでこの厚さだ!)
下は、2008年版「完本 管絃楽法」
この本を持ってない作曲家はいない、とまで言われる名著。

ところで伊福部昭は弓偏の<弦>ではなく、糸偏の<絃>を用いた。
「楽器はその弓が鳴るのではなく、糸が振動して鳴るのだから」。



昭和26年に一般人向けに出版された「音楽入門」
改訂と重刷を重ねて、今も書店に並んでいる。



昭和49(1974)年、東京音楽大学作曲家教授に就任。
昭和51年、同大学学長。
昭和60年、同大学民俗音楽研究所所長。

「ゴジラ」の音楽監督伊福部昭は、偉大な作曲家、教育者でもあった。



伊福部昭の入門曲というと、「SF交響ファンタジー第1番」か。
「ゴジラ」をはじめとしたSF特撮映画の楽曲を、ファンに乞われて20分ほどの幻想曲に編曲し直したもの。
ゴジラ世代は懐かしく、伊福部音楽を初めて聴く若い世代は純粋に音楽として楽しめると思う。

平成18(2006)年2月8日永眠。享年91歳。

#音を楽しむ!

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