ホワイトニッカとブラックニッカ。
向かい合うキング・オブ・ブレンダーズ。
ブラック・キングの原画(鉛筆描きのラフ画)。
描いたのは大高重治氏(1908年12月19日 - 2002年12月31日)。
1939年(昭和14年)直接依頼され”図案”したのが1940年に最初に発売されたニッカウヰスキー第一号のポスターの作成だった。
これを機に竹鶴政孝会長の知遇を得て、以降、瓶型、ラベル、パッケージを一貫して手掛けていた。戦後もニッカのウヰスキーの商品全般、また初期の頃は新聞広告の原稿作成までも引き受けていた経緯がある。
氏は、デザイン専門教育を受ける機会もなく独学で独自の世界を築きあげてきた。まさに職人気質であり、頑固さと几帳面さ、生真面目さに徹し、妥協を嫌う仕事ぶりなどは竹鶴政孝会長の信条と哲学に通じたのかと思われる。生涯を通して竹鶴政孝会長を最大の師として、尊敬して止まない存在であった。(感謝デーの「デザイン資料ミニギャラリー」より抜粋)
写真中央は竹鶴政孝翁、左は大高重治氏。
キング・オブ・ブレンダーズの原案。
正面を向いているキングで、麦の穂は手にしていない。
ニッカのラベルマーク(エンブレム)の原画。
「ニッカウヰスキーと私〜竹鶴威の回想録」第7話より、
ラベルマークは一見イギリス貴族のエンブレムのようだが、よく見ると左右一頭ずつ中央を向いているのは魔よけの印でもある狛犬、中央の(鹿角を模した)兜は山中鹿之助(*)が使用した兜をあしらったもので武芸を意味しており、 NIKKAの文字周辺の元禄模様は文化を表している。これは政孝親父がスコットランドに留学したとき、王室に献上するウイスキーのエンブレムにライオンとユニコーンが描かれたのを見て、そこからヒントを得てデザインを考えたものであった。
(*)出雲国尼子氏の一族で、尼子経久の叔父・尼子幸久の代に山中氏を名乗る。永禄6年の毛利氏の出雲侵攻を迎え撃ち世に名を馳せた。
大高氏は、合同酒精の電気ブランや蜂葡萄酒、GODO焼酎などもデザインした。
また、かわったところでは丸美屋食品のふりかけ「のりたま」。
ほかにニッカをデザインした有名画家には、奥山儀八郎氏がいる。
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