キリンとサントリーの経営統合は、社外的には独禁法が一番の難関で、どうなるか気になるところだが・・・、ウイスキーを啜りながら、統合が成ったあとのオーシャン絡みのウイスキーと宮光園を空想してみた。
あくまで酒呑みの空想物語である。
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経営統合後は、キリン・サントリー・ホールディングスなる持株会社が出来て、その傘下にキリンビールとサントリーという事業会社が収まる。
■ ウイスキー事業は、
サントリーに統合されて、キリンの富士山麓にある蒸溜所は、サントリー富士御殿場蒸溜所と名前を変える。
アメリカンタイプの蒸溜設備は、サントリーにとって魅力。
愛飲家は、富士御殿場蒸溜所の見学時に写真撮影が可能になって、喜ぶ!
現在、休止している軽井沢蒸溜所は、残念ながら悲しいけれども閉鎖になるんでしょうね。
結論:存続する蒸溜所は、山崎、白州、富士御殿場、知多(グレーン)。
次に蒸溜所名を冠したシングルモルトは、軽井沢が蒸溜所閉鎖により消滅。
富士山麓は、微妙なところ?(消滅に1票)
結論:存続するシングルモルトは、山崎、白州、(蒸溜所限定で発売の富士御殿場)。
シングルモルト富士御殿場は、蒸溜所でしか入手できないため、逆に人気が出たりして。(笑)
因みにキリン軽井沢蒸溜所では、軽井沢ピュアモルト12年と並んで、富士山麓やフォアローゼズが売られている。
■ 次に宮光園。
現存する建物は、
・宮崎光太郎私邸と第一醸造所 (甲州市の所有)
・第二醸造所 (メルシャンの所有で、勝沼ワイナリーが管理)
第一に、
日清醸造で書いたように、大黒葡萄酒の宮光園と、日清醸造の現メルシャン勝沼ワイナリーは、兄弟会社ではあったが、本来は別々のワイナリーだ。
両社がたまたま同じ三楽酒造に買収されたために、現在、メルシャン勝沼ワイナリーが別ワイナリーである大黒葡萄酒の第二醸造所を「ワイン資料館」として管理し、別会社の創業者の宮崎光太郎翁の偉業を展示しているに過ぎない。
これが「メルシャン資料館」と名付けない由縁であり、本来なら「大黒葡萄酒資料館」または「宮崎光太郎資料館」と呼び称えるべきなのである。
言い換えると、大黒葡萄酒と宮崎光太郎翁は、メルシャンブランドと無縁(言わずもがなキリンビール、サントリーとも)であって、統合後の看板には成り得ない。
第二に、
サントリーはいくつかのワイナリーを所有するが、看板ワイナリーは今年100周年を迎えた「登美の丘ワイナリー」で、立役者は創業者鳥井信治郎翁である。
ワイナリーの開業年を見ても、
■ 閉鎖された宮光園(1892年)→登美の丘ワイナリー(1899年)→勝沼ワイナリー(1944年)
の順で、登美の丘ワイナリーは宮光園と並ぶ歴史があり、勝沼ワイナリーは足元にも及ばない。
言い換えると、勝沼ワイナリーは統合後の看板ワイナリーたり得ない。
ワインの国内シェアでは、1位のメルシャン(25%)、2位のサントリー(15%)だが、二点を勘案すると、ワイン事業はサントリーに統合されるという結論に至って不思議はない。
なぜなら鳥井信治郎翁あってのサントリー登美の丘ワイナリーで、キリンビール傘下のメルシャン登美の丘ワイナリーが鳥井信治郎翁の偉業を称えるって、パロディーでしょ!(笑)
さらにサントリーにとっては看板的価値のない宮光園第二醸造所(ワイン博物館)は、歴史的な価値=「山梨ワイン発祥の地」を評価する甲州市に寄贈される公算が高いと思う。
あくまで、ホロ酔いヨッパライの空想譚!
最後に、
24回にわたってオーシャンを辿って感じたのは、甲斐産葡萄酒(ワイン)については甲州市などを初めとして資料の収集、整理がされているが、大正末期のM.K印スィートホームウイスキーの登場から、三楽酒造合併前までのウイスキーに関する資料は少なく、その実態がほとんど解明されていないことだった。
一時期、3大ウイスキーと称えられたオーシャン史を、ぜひ残して欲しい!
宮光園から発見された資料が整理されて、私邸、第一醸造所と第二醸造所が一体となった宮光園に「宮崎光太郎記念館」が開館し、一角にオーシャン・ウイスキーの歴史が展示されることを望むものである。
#オーシャン