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オーシャンの系譜(24) K+S、ホロ酔い空想譚。

キリンサントリーの経営統合は、社外的には独禁法が一番の難関で、どうなるか気になるところだが・・・、ウイスキーを啜りながら、統合が成ったあとのオーシャン絡みのウイスキー宮光園を空想してみた。
あくまで酒呑みの空想物語である。

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経営統合後は、キリン・サントリー・ホールディングスなる持株会社が出来て、その傘下にキリンビールサントリーという事業会社が収まる。

ウイスキー事業は、
サントリーに統合されて、キリンの富士山麓にある蒸溜所は、サントリー富士御殿場蒸溜所と名前を変える。
アメリカンタイプの蒸溜設備は、サントリーにとって魅力。
愛飲家は、富士御殿場蒸溜所の見学時に写真撮影が可能になって、喜ぶ!
現在、休止している軽井沢蒸溜所は、残念ながら悲しいけれども閉鎖になるんでしょうね。

結論:存続する蒸溜所は、山崎白州富士御殿場知多(グレーン)。

次に蒸溜所名を冠したシングルモルトは、軽井沢が蒸溜所閉鎖により消滅。
富士山麓は、微妙なところ?(消滅に1票)

結論:存続するシングルモルトは、山崎白州、(蒸溜所限定で発売の富士御殿場)。
シングルモルト富士御殿場は、蒸溜所でしか入手できないため、逆に人気が出たりして。(笑)



因みにキリン軽井沢蒸溜所では、軽井沢ピュアモルト12年と並んで、富士山麓フォアローゼズが売られている。

次に宮光園
現存する建物は、
宮崎光太郎私邸と第一醸造所 (甲州市の所有)
第二醸造所メルシャンの所有で、勝沼ワイナリーが管理)

第一に、
日清醸造で書いたように、大黒葡萄酒宮光園と、日清醸造の現メルシャン勝沼ワイナリーは、兄弟会社ではあったが、本来は別々のワイナリーだ。
両社がたまたま同じ三楽酒造に買収されたために、現在、メルシャン勝沼ワイナリーが別ワイナリーである大黒葡萄酒第二醸造所「ワイン資料館」として管理し、別会社の創業者の宮崎光太郎翁の偉業を展示しているに過ぎない。
これが「メルシャン資料館」と名付けない由縁であり、本来なら「大黒葡萄酒資料館」または「宮崎光太郎資料館」と呼び称えるべきなのである。
言い換えると、大黒葡萄酒宮崎光太郎翁は、メルシャンブランドと無縁(言わずもがなキリンビールサントリーとも)であって、統合後の看板には成り得ない。

第二に、
サントリーはいくつかのワイナリーを所有するが、看板ワイナリーは今年100周年を迎えた「登美の丘ワイナリー」で、立役者は創業者鳥井信治郎翁である。

(サントリー登美の丘ワイナリー)



ワイナリーの開業年を見ても、
閉鎖された宮光園(1892年)→登美の丘ワイナリー(1899年)→勝沼ワイナリー(1944年)
の順で、登美の丘ワイナリー宮光園と並ぶ歴史があり、勝沼ワイナリーは足元にも及ばない。
言い換えると、勝沼ワイナリーは統合後の看板ワイナリーたり得ない。

ワインの国内シェアでは、1位のメルシャン(25%)、2位のサントリー(15%)だが、二点を勘案すると、ワイン事業サントリーに統合されるという結論に至って不思議はない。
なぜなら鳥井信治郎翁あってのサントリー登美の丘ワイナリーで、キリンビール傘下のメルシャン登美の丘ワイナリー鳥井信治郎翁の偉業を称えるって、パロディーでしょ!(笑)

さらにサントリーにとっては看板的価値のない宮光園第二醸造所(ワイン博物館)は、歴史的な価値=「山梨ワイン発祥の地」を評価する甲州市に寄贈される公算が高いと思う。

あくまで、ホロ酔いヨッパライの空想譚!

最後に、
24回にわたってオーシャンを辿って感じたのは、甲斐産葡萄酒(ワイン)については甲州市などを初めとして資料の収集、整理がされているが、大正末期のM.K印スィートホームウイスキーの登場から、三楽酒造合併前までのウイスキーに関する資料は少なく、その実態がほとんど解明されていないことだった。
一時期、3大ウイスキーと称えられたオーシャン史を、ぜひ残して欲しい!
宮光園から発見された資料が整理されて、私邸、第一醸造所第二醸造所が一体となった宮光園「宮崎光太郎記念館」が開館し、一角にオーシャン・ウイスキーの歴史が展示されることを望むものである。

#オーシャン

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