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スーパーニッカの誕生。

初代「スーパーニッカ」の話である。

昭和36(1961)年
1月17日。
竹鶴政孝の妻、リタ逝去(享年64歳)。

昭和37(1962)年
2月20日
壽屋(現サントリー)創業者、鳥井信治郎逝去(享年83歳)。
10月。
手作りボトルの「スーパーニッカ」を720ml入りで小売価格3,000円、年間1,000本を発売。

昭和39(1964)年
西宮工場で、カフェ式連続蒸溜機によるグレーン・ウイスキーの製造を開始。
10月
東京オリンピック開催。
オリンピックを記念して、5色のリングの色ガラスを使った5本セットの「スーパーニッカ5輪ボトル」を限定販売。

昭和44(1969)年
5月10日
宮城峡蒸溜所が竣工。

昭和45(1970)年
手作りボトルから自動製壜になった「新スーパーニッカ」を発売。

昭和54(1979)年
8月29日
大日本果汁(現ニッカウヰスキー)創業者、竹鶴政孝逝去(享年85歳)。

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スーパーニッカの誕生について、
政孝翁の長男・威氏(第二代マスターブレンダー、現相談役)のインタビューに基づいて書かれた「琥珀色の夢を見る~竹鶴政孝とニッカウヰスキー物語」 (松尾秀助著、2004年、PHP研究所)に詳しい。
長くなるが、抜粋して引用(字)する。

●鎮魂の酒・究極のウイスキー「スーパーニッカ」

最愛の伴侶を失った竹鶴政孝にとって、生きる力を取り戻すには、やはり理想のウイスキーづくりしかなかった。
「スーパーニッカは政孝親父の本物のウイスキーづくりに対する情熱そのものであり、リタおふくろを亡くしてショックを受けていた政孝親父を再び立ち上がらせてくれた原動力でもあった」
と竹鶴威は述べている。
政孝は余人を交えず、息子・威と二人だけで余市の研究所に立てこもり、来る日も来る日も貯蔵庫からサンプリングした原酒のテイスティングを続けた。
まだ仙台工場はなく、カフェ式蒸溜機は設置したばかりでグレーン原酒は使えない。余市の原酒の中でも最高のものだけを選んで造ったウイスキーだから、ほとんどピュアモルトと言うべき「究極のウイスキー」だった。

当時、余市の貯蔵庫は 5棟しかなかったという。
西宮工場に設置されたカフェ式連続蒸溜機が試験運転を経て、グレーン・ウイスキーの製造を開始したのが昭和39年。
仙台の宮城峡蒸溜所の竣工は昭和44年なので、最初の15年原酒ができたのが昭和59(1984)年という計算になる。

「政孝親父は、『ウイスキーが熟成するまでに何年もかかる。これは娘が大きくなれば嫁にやるのと一緒なのだから、立派な衣装を着せてやりたい』と言い、各務クリスタル製作所(現・カガミクリスタル㈱)にボトルづくりを依頼した。宙吹き形成(型を使わず、吹きだけで仕上げる手作り)のあと、カットを入れた豪華なものだった。あの何とも繊細な胴の膨らみは文字通り職人技。素晴らしい花嫁衣裳である」(威)
大卒初任給が15000円前後だった時代に随分と贅沢な価格設定だったが、「飲みやすく味わいのあるウイスキー」と評判になった。

現在の価格にすると4万円以上か。ボトルの原価だけで500円(今の価格で7千円弱)したという。販売本数限定なので、言ってみれば今の「竹鶴35年」である。



宮城峡蒸溜所に展示されているスーパーニッカ(ガラス栓)

究極のウイスキー・スーパーニッカも時代の変遷につれて変化していった。まず、柔らかな味わいのカフェグレーンの熟成がすすんでスーパーニッカにも使えるようになった。やがて仙台で蒸溜・熟成されたローランド・タイプのモルトも加わる。それをブレンダーたちが細心の注意をはらい、品質の均一化を図っていく。
昭和45年には手吹きセミクリスタルから技術革新による自動製壜になり、デザインも一新されて「新スーパーニッカ」として発売された。

「ニッカウヰスキーと私 ~竹鶴威の回想録~」より引用、
「スーパーニッカ」は順調に売れるようになったが、手吹きのボトルでボトリングも手作業で行わなければならず、大量生産は不可能だった。やがて昭和43年の酒税引き上げによって従価税率220パーセントの適用で多額の酒税がかけられることになった。ボトルがクリスタル製でコストが高くつくため、当然価格も高いものになる。しかも輸出用酒として外国市場に出す場合、コスト的にもスコッチウイスキーと対抗することが不可能という難点もあった。結果「新スーパーニッカ」が誕生したのである。

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鳥井信治郎、吉太郎親子がブレンドしたサントリーウイスキーオールドは、「信治郎の早世した長男・吉太郎への鎮魂の酒」であった。
スーパーニッカは、竹鶴政孝、威親子がブレンドした「政孝の妻リタへの鎮魂の酒」なのだ。



ご存知のように今年3月、そのスーパーニッカが47年振りにリニューアルした。
これにより現行商品の中で唯一、創業者である竹鶴政孝がブレンドしたウイスキーであった(前)スーパーニッカがラインアップから消えた。
いや、(前)スーパーニッカはブレンダー・竹鶴政孝が亡くなったあとも30年間、現行ラインアップのなかで輝き続けたというべきだろう。

今年は竹鶴政孝翁が亡くなって30年、宮城峡蒸溜所の竣工40周年である。

#ニッカウヰスキー

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