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竹鶴政孝を歩く(2) 教鞭をとった桃山学院。

(是非、地図サイトを参照しながら、お読みください)

竹鶴政孝(以下、敬称略)が約1年間、化学の教鞭をとった桃山中学を目指して散策する。

ちんちん電車が走る道路は何を隠そう、熊野街道である。
姫松駅から天王寺方向へ(北へ)、道沿いに歩いて戻ることにする。



北畠駅を過ぎ100m余行くと、道はちんちん電車の線路から分かれて細くなる。
400m余歩くと、右手に小さな神社が現れる。
陰陽師・安倍清明を祀る「安倍清明神社」である。
旧東海道にしても、山崎駅から山崎蒸溜所へ向かって歩く西国街道にしても、この熊野街道にしても、旧街道は軍事的な意図があって道幅が狭い。
ここの道も一方通行だ。



写真では分かりづらいが、狭い神社である。



入ると右手に「安倍清明公像」。
清明は「今昔物語」などの古典文学や、歌舞伎、浄瑠璃などに登場するそうだが、読んでも観てもいない。(笑)
私が知っている清明は、荒俣宏「帝都物語」と夢枕獏「陰陽師」の清明である。



鳥居の左手に「安倍清明生誕伝承地」の石碑。



鳥居の右手に「安倍王子神社」。
九十九王子の第五王子である。



道路脇に「熊野かいどう」の碑。



「八軒家浜から7.1キロメートル」と刻まれていた。



安倍清明神社から70m余、来た道を戻ると「安倍王子神社」である。



狭い熊野街道と、並行する広い阿倍野筋に挟まれた、なかなか立派な神社だ。

姫松駅から、歩いて凡そ10分。
晴れた休日には、新婚ほやほやの政孝、リタ夫妻は、この辺りを散歩した。
見るもの聞くもの、「あれは何ですか?」と質問するリタに、優しく答える政孝。
若いふたりの微笑ましい姿が見えるようだ。



九十九王子の「第二王子社」とあった。
果たして安倍王子は第五なのか、第二なのか?
まあ、どっちでもいいじゃない!
熊野街道を巡る散策ではなく、竹鶴政孝を歩いてるんだもん。(爆)
(どうも現存するなかで第二らしい)



阿倍野筋の横断歩道を渡り、安倍王子神社の正面のアーケード「王子本通商店街」に入る。
いかにも下町の商店街の佇まいがよい。
ずんずん進むと、やがて商店街が途絶え、下町の住宅街に変わる。
そのまま一直線で、我孫子筋に突き当たった。

見上げると、巨大な壁のような桃山学院の校舎。



正式名は、桃山学院中学校高等学校
英称、St. Andrew”s School。
中高一貫教育のミッション・スクールである。
内村鑑三も教鞭をとったことがあるという。

スコットランドで苦労してウイスキー造りを学んで帰国した政孝。
しかし「日本で本格ウイスキーを造りたい」という政孝の夢は破れる。
恩ある摂津酒造を辞して、浪人する。
ウイスキー造りへの夢が叶う「アテ」は皆無だった。
28歳の若い政孝は、果たしてどのような気持ちで、毎朝、校門を入ったのだろうか。



「ヒゲのウヰスキー誕生す」(川又一英著、新潮社)より、
年が明けて大正12(1923)年の春、姫松の竹鶴家に思いもかけない来客があった。永らく疎遠になっていた壽屋の鳥井信治郎だった。
「ウイスキー造りたいのや。竹鶴はん、ほんまもんのウイスキーを造るつもりなんや。それがでけるの、日本で竹鶴はん、あんただけや」

【コース】 姫松駅(帝塚山)安倍清明神社安倍王子神社桃山中学

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#ニッカウヰスキー

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