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ROYAL GORDON WHISKY

2008年復刻版には、ROYAL GORDON WHISKY と題したアルフレッド・バーナードの著作が収録されている。
49枚の挿絵と写真、50ページを費やした記事である。



ローヤルゴードンは、聞き覚えのないウイスキーだ。
副題に、
A VISIT TO THE SCOTCH WHISKY STORES OF Messrs. PATTISON, ELDER & Co., AND GLENFARCLAS DISTILLERY, GLENLIVET.
とある。

PATTISON, ELDER & CO., をネットで検索すると、あのパティソンズ社に行き着いた。

1898年  リースのパティソンズ社が倒産。ウイスキー業界に不況の嵐が。
のパティソンズ社だ。

(以下、スコ文研「ウイスキーコニサー資格認定試験教本」から引用)
20世紀が近づくにつれて、製造競争の激化と生産設備への過剰投資が未曾有の不況を招くことになる。一転業界は停滞を余儀なくされ、1890年頃まで盛んだった蒸溜所の建設はまったく行われなくなり、その後新しい蒸溜所が建設されたのは第二次大戦後のことだった。1898年に大手ブレンド会社のパティソンズ社が倒産したことは、その象徴とも言われている。
多くの企業がそのあおりを受ける中、企業の吸収合併が繰り返され、スコッチ業界は企業のグループ化が強まった。1877年にローランドのグレーンウイスキー会社6社が手を結んでDCL(ディスティラリーズ・カンパニー・リミテッド)が創られたが、同社は、パティソンズ傘下にあった中小の蒸溜所やブレンド会社を取り込むことで巨大化し、1927年までにビッグ5(ジョン・ウォーカー&サンズ社、ホワイトホース社、ジョン・デュワー&サンズ社、ジェームス・ブキャナン社、ジョン・ヘイグ社)すべてを買収することに成功、最大の勢力へと成長した。

DCL設立~パティソンズ社倒産~業界再編の大きな流れが、100年後のディアジオまで続いているのである。





ところでバーナードの著作中に、なぜ唐突にグラント家経営のグレンファークラスが出てくるのか?
調べると、こんなHPに行き当たった。

1895年、パティソンズ社、グレンファークラスへ出資(グラント家と共同経営)。
1898年、パティソンズ社、倒産。
グラント家が、full control of the Glenfarclas Distillery again
という歴史らしい。

以上から、冒頭のバーナードのグレンファークラスについての著作は、パティソンズ社支配下の3年間(1895-1898年)に書かれたものであることが分かる。

同HPによると、パティソン兄弟は宣伝広告に大変熱心で、「Buy Pattisons ! 」と教え込んだ500羽のオウムを各地の酒店に置いたり、年間6万ポンド(およそ24億円。売上額不明)の広告費を使ったそうだ。
またパティソン兄弟は非合法ビジネスに手を染めて、最後は留置所に・・・。

日本の80年代のバブルやITバブルの出来事は、100余年前にスコッチウイスキー・バブルでも起っていたのである。
諸行無常!

#Whisk(e)yの逸話

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