「カクテルは落語に似ている」
よくそんな風に考える。
唐突だがオイラは落語が好きだ、といっても特別に詳しい訳ではない。
かつてサンケイホールの米朝一門会に行ったり、何度か落語会には足を運んだ事はある。
・・・その程度だ、だから店でオイラに落語の事を質問するのはタブーなのだ。(笑)
ではなぜ落語が好きになったか・・・それは前の店の有線放送のせいだ。
掃除や仕込をしながら落語や漫才を聞いていた。
もちろん同じネタを何度も繰り返し聞くのだから覚えてしまう。
でも何度聞いても同じところで笑うのだ。
有線だから映像がない、演者も演目も分からないまま聞き続けるわけだ。
演者も演目も分からないまま聞くなんて普通はあんまりしないでしょ?
ただ演者はわからなくても聞いていくうちに勝手に自分の贔屓ができてくるのだ。
六代目松鶴師匠や米朝師匠などはお声ですぐ分かったんですが、
親しみがなかった円生師匠や金馬師匠・志ん生師匠なんて後でお名前とお声が一致して
「やっぱ名人と言われる人はちゃうなぁ~」と感心したものだった。
随分カクテルから話が離れちゃいましたね~。
オイラが思うに落語とカクテルの共通点は古典と創作、どちらも人が創ったモノだというところだ。
当たり前だがどんなスタンダードカクテルにも作者が居る
ただ明らかかそうでないのかの違いだけだ。
優れたカクテルは決して古くならず、いつの時代でも愛され
世界中で飲まれ続けてスタンダードになったんですよ。
これはスゴイことだ!
おそらく100年先の未来でもビートルズやエルヴィスが愛されているように。
(といってもオイラにビートルズとエルヴィスの質問もタブーだよ)
今スタンダードと呼ばれているカクテルも当時は前衛的な飲み物で、最初は「邪道や」とか
「あんなん続かんで」とか言われたはずだ。(でもやっぱ旨いんよ、不変なんやね)
落語で言うなら「時うどん」とか「道具屋」・「子褒め」です、パターンやけど良く出来てますわ。
こんな古典落語も最初は創作落語だったんですよね。
その時ウケても時代の変化で面白さを理解できないものは淘汰され
普遍的なモノだけが古典として残っているのでしょう。
誤解を恐れずに言うならカクテルを創作すること自体はそんなに難しい事ではないんですよね。
結局自分の店だけじゃなくて他所の店でも飲まれて、全国で、イヤ世界中で愛されて
どんだけ時代が変わっても飲み続けられるようなカクテルを創れるかどうかなんでしょう。
自分の死後も飲み継がれるカクテル残せたりなんかしたら、そりゃ最高ですよね。
だからバーマンと噺家ってちょっと似てる気がします。
名人・上手といわれる方から個性派まで様々でしょ?
オイラは上手いと言われなくても良いから、味のあるバーマンになれればと思います。
#お酒話アレコレ