過去の「南蛮屋」さんの記事。
[サンデーひと舞台]街と人見つめ、傘寿のカクテル 周南のバーテンダー
2004/03/21 西部読売新聞
◆周南のバーテンダー “48年もの”変わらぬ笑顔
〈カクテール 南蛮屋〉と書かれた小さな看板。店内はカウンター席が九つ。
奥の棚には洋酒の瓶とグラスが並ぶ。「あら、いらっしゃい」。
店の奥でテレビを見ていたバーテンダーの竹中豊子さんが振り向いた。
五月で七十九歳、数えで言えば傘寿だ。この道四十八年、カウンター越しに街の移り変わりを見つめてきた。
◆談論風発の文化人/親子2代の常連客/夢語る青年、市長に
山口県周南市新町。この地で南蛮屋が開店したのは一九六〇年四月。
九九年に他界した夫の哲次郎さんと二人で切り盛りしてきた。
当時、周南コンビナートへの企業進出が相次ぎ、新産業都市にも指定された。
旧徳山市がにぎわいを増していった時代だった。若者たちも元気が良かった。
「若いころのたまり場でした。ドアを開けると、竹中さんの笑顔が迎えてくれるんです。かわいがってもらいました」。
コンビナート企業の社員だった周南市長の河村和登さん(64)が振り返る。
「仲間や哲次郎さんと、まちづくりなんかについてよく議論しました。それが今の私の根っこです」
店に来る若者たちが仕事を重ね、地位を得ていく。竹中さんは、そんな姿を見るのが楽しみだった。
「青春時代を確認できる場ですね」。
同市みなみ銀座で事務機会社を営む藤村哲一さん(53)。
学生時代から通い、東京での会社勤めをやめて帰郷してからは、中学、高校時代の友人とよく訪れた。
「昔のことをよく覚えてるんですよ」。
今でも、かつての仲間と足を運ぶが、そのころ気づかなかったことを、竹中さんから教えられることがある。
「実は、だれとだれが付き合ってたとかね」
竹中さんは戦後、実家のあった同市櫛ヶ浜で美容院を営んでいた。
ある日、常連客に誘われ、当時、流行の最先端だったトリスバーへ行ったのがきっかけで、ついには弟子入りした。
昼間は美容院、夜はバーの受付。その店で教えられるままに、シェーカーの振り方を覚えた。
角がすり減った手帳を見せてくれた。「二、三百とは言わないかしら」。
カクテルのレシピが、びっしりと書き込まれている。
今では頭の中に刻み込まれ、注文を受けても、ほとんど手帳を見ることなく、手際よくカクテルを作る。
粋人だった哲次郎さんの影響もあってか、画家や詩人など文化関係者が出入りした。
店内はいつも談論風発で、にぎやかだった。
常連客で忘れてならないのが、「文士シリーズ」や「カストリ時代」などで知られる地元出身の写真家、林忠彦さん(一九九〇年没)。
帰郷すると、よく店にも顔を出した。
「話好きの優しい人でした。林さんに写真を撮っていただいたけれど、受け取ってないわね」と竹中さん。
林さんの長男で、市内で写真館を開いている靖彦さん(63)は
「父とはよく行きました。ふんわりとした雰囲気が好きですね」と語る。
林さんに限らず、親子で訪れる人は今も多い。
日本バーテンダー協会によると、全国では八十歳代の男性バーテンダーが何人か現役でいるが、
女性で傘寿を迎えるような人は少ないだろうという。
市の中心部とはいえ、夜の繁華街から少し外れた場所にある。
最近は、若者グループよりも、アベックや夫婦連れが増えた。「静かになったわね」。
一瞬、寂しげな表情を見せたが、元気にシェーカーを振る姿は今も昔も変わらない。
山本 豊
#BAR(周南・徳山)