(スコットランド・スペイサイド地区)ウイスキーに関わって来た人々の話です。スコッチウイスキーへの情熱が伝わってきます。まずは、ウイスキーの歴史から。
一つ一つの香りや一口がその発祥地や作った人々のことを語ります。
人の心や自分の独特なモルト・ウイスキーやブレンド・ウイスキーを作ることに対する情熱さが全てです。
スコットランドを蒸留してグラスに入れ、より広い見方もあります。スコットランド人にとってウイスキーの原点には人々がいます。
スコットランド人がウイスキーのことを語ると自分の心の事も語ることになります。ビールと違って、ワインとも違います。
モルト・ウイスキーは彼らを特別な場所に導きます。そしてウイスキーってどこから来たのか?という神秘的で不思議な発想が全てです。
友人である人がおっしやるように、ウイスキーの起源ははっきりしません。
誰が最初にスコットランドでウイスキーを作ったかは誰も知りません。
ウイスキーはスコットランドで魔法の力で始まりました。
蒸留の初期について知られていることは少ないのですが、蒸留は昔のキリスト教の修道士や宣教師によってスコットランドに導入されたということは知られています。
おそらく彼らはアイルランド、コリンセー、アイラからスコットランド本土に来ました。
修道士等が蒸留について詳しかったのは蒸留がサイエンスの部門として見なされていたからです。 そして宗教改革で廃止されるまで蒸留はほとんど修道院等で行われていました。つまり、秘密性の高い環境で行われていたわけです。 これに関わる人々の多くはウイスキーを作る為に蒸留を行っていたわけではありません。
アクアビートというものを作っていました。 そしてアクアビート、アクアビータイ、アスカバー、ウスキー、ウイスキーというふうに発音が現在使われているものに変わっていったと納得する人もいまが、意見として、これは違うようです。
蒸留を通して彼らは魔法とサイエンスの間の境目をはっきりさせていました。やはり、14、15世紀には魔法とサイエンスの間の境目は非常に薄かったです。
ウイスキーのことが書いてあるもので、一番古いのは1494年日付の「エキスチェッカー・ルール」です。
「エキスチェッカー・ルール」というのは王室用の買い物リストのようなものです。
ルネサンス時代のスコットランドの偉大なる王であるジェームズ四世からのもので「アクアビータイを作る為にモルトウイスキー8本を」と書いてあります。 しかしこれは何のために作られていたかははっきりしません。
例えば、ジェームズ王は火薬に大変興味があったのでこれを作るのにアルコール類を使っていた可能性があります。コーニングというプロセスがありました。
火薬は細かい粉末の状態より、粒状に挽かれた状態の方がより大きく爆発します。従って、水を利用してこのように火薬を粒状に挽いていました。 揮発性のあるアルコール類を使うと更に大きく爆発します。
もちろん、拝発性のあるものを使うのは難しかったです。彼はこの為に使っていたかもしれません。 当時の全ての学者と同じ様に彼は錬金術、つまり卑金属を金に変換させる事に大変興味がありました。
そして錬金術だけではなく、水、大麦、ビールの様な基礎要素から蒸留を通して神髄を出したりする事にも興味がありました。 ですから彼のアクアビータイや蒸留に対する興味は飲料作りだけではなく、色んな事に由来したかもしれません。
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#スコットランド蒸留所、風景