{写真:グレンキース、アイラ川}
(スコットランド・スペイサイド地区)ウイスキーに関わって来た人々の話です。スコッチウイスキーへの情熱が伝わってきます。スコッチウイスキーが最高との思いが、伝わってきます。
スコッチ・ウイスキーは日本で作れるかどうかよく聞かれますね。
その答えは基本的にノーです。
スコッチ・ウイスキーという呼び方はスコットランドで作られたものにしか使えません。
しかし、日本では面白いアイデアがありました。
蒸留所やその周りにいくつかの家を作って、そしてそのできた村を「スコットランド」と呼びました。
そうすると、そこで作ったウイスキーをスコッチ・ウイスキーと呼ぶことができました。
実は、我々はこの国でウイスキーの作り方を学びました。
ある日本人男性が78年ぐらい前ここに来ました。そして、技術、技能、知識などを日本に持っていました。
ええ、彼らにやられたそうです。
いい日本製のウイスキーは作れますが、残念ながらスコッチ・ウイスキーは作れません。
スコッチ・ウイスキーのユニークな点の一つは主に田舎で作られているということです。
多くの人々に雇用を与えています。
スコットランドでは、4万5千人ぐらいの人々は直接、または間接的にウイスキー業界に携わっています。
ウイスキー業界に携わっている人々以外にも、農民やモルトスターが作る穀物が必要だし、色んな会社が作るボトル、ラベル、梱包も必要だし、ウイスキー業界はおよそ50人に一人のスコットランド人に雇用を与えています。
スペーサイドやアイラのようなウイスキーが作られる地方では、多くの町はウイスキーのおかげで存在します。
スペーサイドでは「ローマは七つの丘の上に建てられた。
ダフタウンは七つの蒸留所の上に建てられた。」という言い伝えがあります。
私はスペーサイド出身なんですが、やはりウイスキーは常に回りにありました。
日常生活の一部でした。
「早い年齢からウイスキーに浸される」とよく言いますよ?
ウイスキーの世界で育ちました。
村の人々は皆ウイスキー関連の仕事に携わっていました。
私は昔から泥炭を切ってきました。
私の父も祖父も曽祖父もそうでした。
これは元ふ祖父のものでしたが、私のために切られました。
彼は私より少し背が高かったです。
あそこに角がありますね。
昔は牛の角を切って、泥炭用のスペードとして使われていました。
このごろ、角は手に入りにくいです。
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#スコットランド蒸留所、風景