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モルトウイスキーとの出会い

 出会いというよりは、たまたまそれがモルトだったと言った方が正しい気がしてならない。

 30年以上昔、中学1年の夏のある月曜日。両親は小さな学生塾を開いており、二人とも教えていたので、一人っ子の私にとってはいつもの留守番であった。
 なぜ月曜日とはっきり覚えているかというと、前の日が日曜日で(昔も今も当たり前)、父の友人が遊びに来て、ヨーロッパの話を聞かせてもらい(内容はまったく覚えていない)、お土産にウオーターマンの万年筆を頂いた(これはしっかり覚えている)からだ。その日は、めったに酒を飲まない?(飲めない)父がいつになくご機嫌で、夜遅くまで2人で盛り上がっていた。

 リビングを抜けようとして、ローボードの中に見知らぬビンを見つけた。緑色で三角形をしており、鹿の絵が描かれている(今はグレンフィディク12Yと分かる。バーテンダーなら当たり前)。洋酒のビンであることは、なんとなく想像ができたが。
他は?マークの連続であった。こんなビン家にあった?どこから来た?本当に酒?百貨店で見たことある?これもお土産?どこの国のもの?飲めるの?どんな香り?どんな味?・・・。
 とりあえず、そっと、何故そっとなのかはおいといて、何故かそっと手にとってみた。 当時、私の酒に対する知識など無に等しかった(中学1年ならこれも当たり前)。酒は、ビール・日本酒・梅酒・ワイン・洋酒の5種類に分けて考えていた。このうち日本酒とビールと梅酒は飲んだことがあった。正月などは少し酔っ払ったこともある。我が家にワインがあったかどうかは定かでない。

 洋酒に関する知識は、もっぱら両親の会話と映画から得たものである。ウイスキーは、角・オールド・リザーブ・ジョニ赤・ジョニ黒・オールドパーの順に偉くなって行く。ブランデーはナポレオンとも言う。洋酒は叔父さんが好きで、母が帰りにお土産と言って渡すと喜ぶもので、家では飲まないものであった。
 他にはカクテルというものがあるが、これは外国のホテルでタキシードかドレスを着た外人しか飲まないものだ。

 かっこいい酒の飲み方ベスト2
 007の「ウオッカマティーニ。ステアせずにシェイクで」と言って美人と飲む。
 酒場のカウンターの上を満杯のグラスが走り、ピタッとヒーローの前に止まるが、一滴たりともこぼれず、クピッと一気に呷って、空中にはコインが舞っている。

 これ以上は知らなかった。ということでベスト2でおわり。以上中学1年の私の酒知識全集。

 手に取ったビンは、なんとなく重量感があった。というより、そうであって欲しかった。
 当時の私の英語力では(今も大して変わっていない)、ラベルに何が書いてあるのかは全く理解できなかった。ただなんとなくウイスキーで、オールドパーよりも大分に偉いんだろうなと思えた。

 好奇心からなのか、すでに酒飲みの血が流れていたからなのか。あっという間にキャップは開いていた。こわごわビンの口に鼻を近付けてみたが、少し酒臭いだけでたいした感動はなかった。そっと後ろを振り返ってから、もちろんそこに誰もいないことは承知の上で、少しキャップに注いでみた。

 原生林の木々の間から妖精が飛び出してきたかとおもうような、美しく正しい香りがそこらじゅうに広がった。このビンはマジシャンの箱の生まれ変わりにすら思えた。正しい香りが何かは、未だによく分からないが、それまでに嗅いだことのない、華やかさと、爽やかさが私を襲った。これはすごいと直感した。何がどうどのくらいすごいかというと、100点満点で300点を取ったぐらい、すっごくすごいのだ。

 瞬時に私の手は反応していた。中身が喉の奥まで飛び込むほど、一気にクピッと呷った。まるでジョン・ウェインにでもなっかのように。

 舌は痺れる・喉は焼ける・気管はむせ返る・目は涙ぐむ・鼻水は飛び出す・汗は噴出す。空中にコインが舞うより早く、脳天に火花が散った。

 あわてて、キャップを閉めて、元の場所に、元あった向きに戻した。水を飲みにも行けなかった。というより、考え付きもしなかった。西部劇にはチェイサーは登場しないのだから。

 生まれて初めて口にしたウイスキー。しかもシングルモルト(当時は知らなかったが)。これはこういうもので、これが正しい飲み方で、大人にしか理解できないものなのだ。と、勝手な解釈をして、自分の部屋にたどり着き、寝転がってただひたすら天井を見ていた。

 しばらくすると、舌も喉も気管も目も鼻も汗腺も正常に戻った。その時、自分の体から、あの妖精の香りが漂ってくることに気づいた。 大人がウイスキーを飲む理由が分かったような、一歩大人に近づいたような、嬉しさがじわじわこみ上げてきた。ただ、その前に死ぬ思いが待っていることも、十分頭に叩き込んだ。もう二度とウイスキーは飲まないぞと、心に決めた。

 にもかかわらず現在は、十三でバーのおやじをやっている。しかも、モルト大好きで嫁にまで逃げられる始末である(原因は違うところにあったようにも思うが)。モルトのビンから飛び出してくる妖精達は文句を言うことはなく、となりのビンの妖精と仲良くしても嫉妬もせず、1本のビンから何人(妖精の数の数え方は知らんので)もが手を取り合って、私を心地よい気分にさせてくれる。

 あなたも妖精達に会ってみたいと思いませんか?
 

#スペイサイド

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