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酒と落語

 桂三若(さんじゃく)さんという落語家さんが、時々遊びに来てくださる。三枝さんのお弟子さんで、落語に対して非常に真面目で熱心である。独演会を見せていただいたが、汗まみれの熱演で、手ぬぐいが小道具でなくハンカチになっていたのには少し驚いた。若さ溢れる落語で、思いっきり笑わせてもらった。彼いわく、落語は笑わしてなんぼ、らしい。

 私は昔から落語と漫才は大好きで、落語会や寄席にはよく出かけた。何も考えずに笑っていれば時間が過ぎるのだから、これほどの極楽はないように思う。落語の演目には、酒の出てくるものが多くある。枝雀さんの「青菜」などは、派手なパフォーマンスもさることながら、柳陰(酒の一種)を口から迎えにいくあたりの、酒飲みらしさの表現が大好きであった。「寄り合い酒」「ちりとてちん」「親子酒」「禁酒関所」など酒の話にはことかかない。

 なぜこんなに落語の中に酒が登場するのか。飲むとドジをやるのが昔も今も同じで、素面の人から滑稽に映っていることを、酔った当の本人が気付いていないのが、面白おかしくはなされるからであろう。また、小道具としても利用価値が高いのだろう。昔は、旦那と職人であったり、大家と店子であったり、大名と家来であったりと、主従の関係がはっきりしており、金持ちと貧乏人がお互いの立場をわきまえて付き合っていたなかで、酒の席ではある程度許される部分もあったからかもしれない。

 今の社会でも、会社の上司と飲む酒やお客様の接待で飲む酒など、上下関係がはっきりしている場合もある。ただ、私は店に来て下さるお客様は、カウンターに横一列に並んでいるのと同じように、上下関係がないと考えている。上からしか物の言えない人は、お客様として扱わない。もちろん年齢や経験を無視するのではない。お互いに尊重しあいながら、その場の時間と空間を共有して欲しいと思っている。

 バーのオヤジをやっていると、時々、落語を地でいっているお客様に出会う。自分もその仲間になることもしばしば。

 早く一人前にならなくては

#落語

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