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飲酒記憶喪失事件

 高校を卒業して、大学も来てもいいと言ってくれ、生まれて初めての独り暮らしが始まろうとしていた。しかし、同級生で同じ大学に進学した学友もなく、親類縁者も全くいない、初めての土地に一人で住むというのは不安なものである。合格発表までは、もう一人同じ大学に行くやつができると思っていたのに。

 例の悪友軍団5人は、大阪の予備校、石川、東京、仙台、広島の大学とばらばらになることが確定した。4月に入るとそれぞれ引越してしまう。ということで3月31日の夕刻、いつものジャズ喫茶。一人だけ進学が決まっていない(予備校に進学したとは当人の言)やつも、当然のように参加。

 この日は、飲みに行くからと宣言の上、小遣いまでせしめていった。母親がすんなり小遣いをくれたことが、少し気味悪かった。父親に教えられた?こんな風は理解していないので、どんな風に飲むことになるかは、行き当たりばったり。全員、財布に十分(いくらあったら十分なのかは不明)入れてきているという。

  まずはそのジャズ喫茶でビールを注文する。マスターが、「おまえら、ちゃんと卒業できたのか。それはめでたい。」といってクアーズを1本ずつご馳走してくれた。マスターを含め6人で乾杯。安心して堂々と飲めるビール。美味い。そのマスターから、「なんぼ飲んでもかまへんけど、飲まれたらあかんぞ。」と言われた。飲まれるって?只で出るわけもいかないので、もう1本ずつお代わり。

 ジャンジャン町へ向け、ゾーロゾーロ。安く飲めて食える場所は、そこ以外知らなかった(その年でいたるところ知っていた、ららそれはそれで怖いものがある)。
 まずは、名物串カツ屋の天狗の暖簾をくぐる。まるでバカ若いオッサン5人組。ビールに土手焼き2本からスタート。串カツ・たまねぎ・じゃがいもなど揚げたてを頂く。ビールが酒になる。2本と3合ぐらいは飲んだだろう。堂々と酒を食らうことにまだ慣れてはいないが、ビクビク感はないからなのか、ウキウキ感がそう思わせるのか、ともかく最高に美味い酒だった記憶がある。

 ここで豆知識。当時の大衆酒場で店の人が注文を通すのに、2級酒は酒。1級酒はお酒。特級は特級と呼ぶ。特級を注文しようものなら、向こう三軒両隣にまで聞こえるくらいの大声で「特級1本」と注文を通すのが慣わしとなっていた。これも下町らしくてよかったが、酒の等級の廃止とともになくなったのは残念。

 受験を終えたホッ感と、自分で自分のことを決めることを世間が認めてくれるウハウハ感と、18歳未満で高校生では出入りできなかった場所も大丈夫になったムフムフ感。でも、何も知らないガキの、ドキドキ感はついてまわる。

 新世界から難波へ、すんなり行かない。あるやつが、「ストリップ小屋があるぞ。行こう~~~」とギトギト横目で見回す。全員ワクワク、モジモジ。私の知る限り、筆下ろしがすんでいたのは一人っきゃないはず。残りの四人はビニ本とポルノ映画でしか、女性の体を見たことがないのだ。一人1900円。学生割引で1700円。あれだけ酒を飲んでもそんなもんなので、高いような安いような。でも高校の学生証は返したし、大学の学生証はまだもらっていない。言いだしっぺが、チケット売りのおばちゃんと交渉の結果1700円でOKは出た。こうなりゃ突撃(1900円でも多分突撃していた)。会話はまったくなしの一時間半は、アッというまに過ぎ去った。飲んだ酒までどっかへ行った気がした。

 次の会話は、飲み直しに行こう。飲むなら洋酒。ということで、難波目指してゾーロゾーロ。みんなやけに口が軽いが、なぜかストリップの話題だけは出てこない。独り暮らしに対する不安(やればすぐに解消するもの)や、大学に対する夢(打ち砕かれる日の近いことも知らず)などが話題の中心。誰が言ったわけでもないが、前に来たパブのあった場所に足が向いた。が、ない。ビルはある。3年間受験勉強にあえいでいる(ほとんどしていなかった記憶もある)間に、パブはビアホールに化けていた。

 行く先の当てのない5人組誕生。ほかに洋酒を飲ましてくれるところで知っているのは、父親に酒の飲み方の教育を受けた、北新地のべっぴんのおばちゃんペタペタ、香水プンプンの店だけ。いくらするのやらさっぱり見当もつかないが、安くはなさそう。ほかの連中も似たり寄ったり。

 一人が突然、家に電話しだした。お兄さんが大学生で、多分どっか知っているだろうということ。しかし、不在。ガックシ。またまた本屋へ。情報誌、旅行案内、小説、参考書、グルメ本など手当たり次第に立ち読み。Lマガジンを購入。割引券付きパブを目指す。

 地図通りの場所にパブ発見(当たり前)。堂々と胸をはってドアを開ける。清く明るく美しい声達が一斉に「いらっしゃいませ」とお出迎え。昔の店と同じ。カウンターに座っている客はなく、ボーイさんがボックス席へ案内してくれる。割引券には、5名様以上ボトル1本サービス、とあったのでちぎって渡す。

 サントリーの角と氷と水とグラス(多分10オンス)が運ばれる。水割り以外飲むなということらしい。
適当につまみを注文して、この日3度目の乾杯。ワイワイガヤガヤと好き勝手な話をしていた。1時間もしないうちに、ボトルが空になる。もう1本頼もうかという話も出たが、そこはLマガジンの力。他の店も割引券付き。そちらに移動することに。

 地図通りの場所に別のパブ発見(当たり前)。堂々と胸をはってドアを開ける(板に付いてきたような気分)。清く明るく美しい声達が一斉に「いらっしゃいませ」とお出迎え。これはどの店も、マクドナルドのスマイルとポテトも一緒にいかがですか、級。この店もボトル1本サービス。また1時間が過ぎ、ボトルが空になる。もう一軒。

 自分のベロベロ度合いには気付かぬまま、3軒目。またまたボトル1本を1時間ほどで空ける。

 ベロベロがベロ~ンベロ~ンに。気分はウホホイ・ルンルン・キャピキャピ。時計は11時に近づいている。ヤバイ、家まで帰れるかなとふと素面に戻った。あるやつの家は天王寺の近所。いざとなればそこへ泊めてもらうことにするさ。ということで一応解散。

 かろうじて最終電車に間に合った。家に電話する時間があったので、最終で帰ることは連絡した。酔っ払いの帰るコールを実践。母親は、気をつけて帰って来いというだけ。最終電車は橿原神宮行きなので、寝過ごす心配はない。6年間お世話になった電車ともしばらくお別れかと思うと、なんとなく寂しい気分になったが、すぐに爆睡。

 終点ですよと、車掌さんに肩をゆすられて目覚めた。お礼を言おうとしたら、ほかにサラリーマンらしい人がもう一人お休みになっており、車掌さんはその人のところへ。ともかく家に向かった。のだろう。
朝(昼過ぎになっていた)起きたら自分の布団にいたのだから。

 駅から家、布団への間の記憶がない。18歳にして帰巣本能のすごさを体験した。多分いつもの道をいつものように?千鳥足で?歩いて帰ったようだ。いくら思い出そうとしても、駅で切符を渡したかどうかさえ思い出せない。どうやって服を脱いだのかは、その散乱状態から想像ができた。

 それよりも問題はガンガンジンジンする頭。のどはカラカラ。台所へ降りていって、水をガブガブ。なぜか、両親がそろってこちらを見ている。父はニヤニヤしているだけで、何も言わなかった。母が
「一人で住むんやさかい、これからは飲まれるほど飲んだらあかんで」
と一言。

 酒に飲まれるというのが何なのか、なんとなく分かった気がした。ついでに初の宿酔を経験した。エイプリルフールであってくれと願ったが、夕方までムカムカ・ガンガンは続いた。

 

 

 

#ジャパニーズ

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