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神谷傳兵衛(19) 旭川工場~民間初の国産アルコール。

明治2(1869)年
7月8日、明治政府は北海道に開拓使を設置。
北海道の開発を急いだ最大の理由は、北から北海道をうかがうロシアへの警戒のため、函館以北を無人の地にしておくことができないという抜差しならない現実であった。

明治27(1894)年
7月、日清戦争勃発。
当時の無煙火薬は、アルコールを原料として製造されていた。
東京板橋と、宇治にあった陸軍の火薬製造所でも、本格的な無煙火薬の製造に乗り出し、酒精工場の設置を目論み、ドイツから最新式の酒精蒸留機を輸入する。
イルゲス式連続蒸溜機は日清戦争(明治27年7月~28年3月)後に入荷し、火薬製造所が良質なアルコールを生産したのは明治35(1902)年頃からといわれている。

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神谷傳兵衛は、シャトーカミヤ(明治36年竣工)と同時期に、北海道旭川に民間初の国産アルコール製造工場(明治35年竣工)を建設する。



明治35年7月、旭川工場。

「合同酒精社史」より
当時の国産蒸溜機のように単式のかんたんな装置のものでは、使用原料や発酵過程でいかに工夫しても輸入酒精に対抗できなかったから、この連続式酒精蒸溜機輸入のニュースは神谷を大いに刺激した。
神谷はかねてから、酒類の原料について一つの定見を持っていた。
「わが国の人口は年々大きく増えて行くが、その主食物である米は人口増加の割合に産額を増やさぬ。それなのに、その米が清酒の原料として使用される額は実に莫大なものがある。だから米の需要と供給とは均衡を保てず、米価は次第に騰貴して止まるところを知らぬ。もしもこの田作物原料を使用する酒のかわりに畑作物原料(雑穀、芋類、陸稲米(おかぼまい)、果実等)の酒が飲まれるならば、それだけ米の不足を補うことができる。
しかも田作物原料の清酒は、飲用期が短く1年余を限度とし、それ以上は古酒として持越されぬ特性がある。畑作物原料の酒は、年数を経れば経るほど品質が優良になり、値も上がり、かつ外国人の嗜好にも適して輸出品となる。だから田作物原料の酒は銀、畑作物原料の酒は金と称してよかろう」

というのであった。神谷は新しい規模の大きな酒精工場の設置を決意するのである。候補地として遠い北辺の地旭川を選んだのも、北海道という日本のホープにある畑作物「ジャガイモとトウモロコシ」に着目したからである。

明治30(1897)年 (傳兵衛41歳)
酒精の原料として北海道のジャガイモ、トウモロコシに注目。

明治32(1899)年 (43歳)
北海道旭川に敷地を購入。

当時の旭川町は、鉄道の開通(明治31年7月)、第七師団の設置(明治33年4月)等で、将来の発展は約束されていたし、酒類醸造も明治24年から清酒の実績がある。また神谷は、隣村東川村に農場を所有(*)し、その地勢を知っていた。北海道の中央に位置し、原料、製品の集散に便利であり、上川盆地の気候は大陸的で、農作物の生育もすこぐるよい。なかでも旭川町長本田親美(ちかよし)は、この会社の誘致に熱意を示し、協力を吝しまなかったのである。
(*)神谷は酒造以外にも、海運、鉄道、石油、貿易、食品などの企業に関与している。

明治33(1900)年 (44歳)
7月、北海道旭川に酒精工場建設を計画。
11月、日本酒精製造㈱を設立(本社東京日本橋)。

前茨城県知事人見寧雨宮綾太郎近藤利兵衛成島国任らと共に、資本金20万円の日本酒精製造㈱を設立する。
社長は人見寧神谷は土地を提供し、200株を所有する株主として相談役の任につく。

神谷の進言により、会社は横浜のシモン・エバース商会よりアルコール製造機械を買入れ、同商会主人カーフマンに托して、ドイツから技師のアルベルト・ヘンニグス・ドルフを招き、建設に着手する。
機械の主なものは、
・ボイラー2基、
・連続自動蒸留機1基(イルゲス式)、
・蒸煮缶2基、
・糖化機2基、
・麦芽破砕機、
・ポンプ類一式

等であった。
建物の建設、機械の据つけ、試運転と意外に時間がかかっている。ドルフ技師によって明治33年7月設計され、2年目の35年6月大体の工事完了。



昭和元年の蒸溜棟(通称「レンガ棟」)。

明治35(1902)年 (46歳)
7月、日本酒精製造旭川工場の試運転開始。90%以上のアルコール製造に成功。

7月5日酵母を仕込み、7月11日蒸留機の試運転を開始した。
得られた酒精はアルコール度数92%~93%のものであったが、歩垂れ(収率)がわるく、所期の96%に達しない。ドルフは本国に事情があってその年8月帰国してしまう。協力者の伊藤逸太郎鮎沢酉三三星政一郎水野準逸らは、その後大いに苦労してようやく予定した成果を見るのである。
こうして旭川に、はじめて近代工場といわれる酒精工場が誕生し、90度以上の良質な国産酒精が製造されたのである。

民間初の国産アルコールは、官製と同じ明治35年に誕生した。
神谷の先見の明であった。

【参考図書】
■ 合同酒精社史 (合同酒精社史編纂委員会。昭和45年12月25日発行、非売品)

#神谷酒造・合同酒精

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