神谷バー。
浅草一丁目一番地一号。
日本でいちばん古いバー。 (HPより)
いまも吾妻橋交差点角で営業する神谷バーの創業者神谷傳兵衛(以下、敬称略)。
神谷傳兵衛は、日本の産業の黎明期に洋酒の基礎を築いた先駆者として、ふたつの事業を成し遂げた。
■ 北海道旭川に酒精工場を開設し、民間初の国産酒精(アルコール)の製造を行なった。現在の合同酒精㈱の原点である。
■ 茨城県牛久にシャトーカミヤを開設し、本格ワインを始めとする洋酒の製造を行なった。
「合同酒精社史」は、3分の1弱の頁数を割いて、神谷傳兵衛の事業の原点「みかはや銘酒店」開業から「合同酒精」設立までを前史とし、それ以降を本編としている。
========== 前史 ==========
安政3(1856)年
2月11日、神谷兵助の六男として生まれる。幼名松太郎。
明治13(1880)年 (傳兵衛24歳)
4月、東京浅草区花川戸4番地(現・浅草1丁目1番地1号)に「みかはや銘酒店」の屋号(のちに「神谷酒造」と改称)で、にごり酒の醸造(「花川戸工場」の原点)と一杯売りを開業する。
明治14(1881)年 (25歳)
秋、輸入葡萄酒を原料とした甘味葡萄酒「蜂印香竄葡萄酒」を発売。
明治15(1882)年 (26歳)
夏、輸入酒精を原料とした速成ブランデー(のちの「電気ブラン」)を発売。
● 明治19年、宮崎光太郎、甲斐産葡萄酒醸造場(のちの大黒葡萄酒→オーシャン)を開設。
明治26(1893)年 (37歳)
東京本所区中ノ郷瓦町に第二工場を建設、「本所工場」とする。
● 明治27年に、竹鶴政孝が誕生。
● 明治32年に、鳥井信治郎(20歳)が鳥井商店を起こす。
明治35(1902)年 (45歳)
北海道旭川に酒精工場を建設、「旭川工場」とする。
明治36(1903)年 (47歳)
「シャトー・カミヤ(牛久醸造所)」を建設。
明治45(1912)年 (56歳)
4月10日、日本初の洋風バー「神谷バー」を開業。
大正11(1922)年 (66歳)
4月24日、神谷傳兵衛逝去。
養嗣子傳蔵、二代目傳兵衛となる。
========== 本編 ==========
大正13(1924)年
10月31日、北海道内の焼酎製造会社4社が合併し、旭川市に合同酒精を設立。
4社とは、神谷酒造(旭川工場)を存続会社として、東洋酒精、北海道酒類、北海酒精。
酒精の製造=合同酒精 (旭川工場)、
洋酒の製造=神谷酒造 (本所工場、牛久醸造所)という体制である。
のちに神谷酒造は、合同酒精の経営から手を引くが、両社の良好な関係は継続する。
● 同年、壽屋(現サントリー)山崎蒸溜所が竣工。
昭和元(1926)年
12月26日、合同酒精商品名を「ゴードー焼酎」と決定。
「合同酒精社史」には、戦前「神谷・合同共通マーク」で「エアシップウイスキー」を販売したとある。
昭和35(1960)年
合同酒精が神谷酒造を合併し、「吾妻橋洋酒工場」とする。
「ネプチューンウイスキー」「コルトウイスキー」を販売。
昭和38(1963)年
合同酒精、本社を旭川市から東京都中央区に移転。
平成15(2003)年
7月、合同酒精はオエノンホールディングスに商号変更し持株会社体制に移行、事業会社として新合同酒精を設立。
次回から、日本の洋酒の先駆者である神谷傳兵衛の生涯を辿ることにする。
資料には新字の「伝」を当てるものもあるが、人名であり「傳」(旧字)を使った。
また「葡萄酒、ぶどう酒、ブドー酒」や、「酒精、アルコール」など、参考図書によって表記がまちまちだが、原本を尊重した。
【参考図書】
■ 合同酒精社史 (合同酒精社史編纂委員会。昭和45年12月25日発行、非売品)
■ 神谷伝兵衛~牛久シャトーの創設者 (鈴木光夫著。昭和61年1月15日発行、筑波書林刊)
■ 特別展「カミヤの至宝」 (平成14年10月20日 合同酒精発行のカタログ)
#神谷酒造・合同酒精