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「SINCE 1874」の謎。

「オーシャンの系譜」の第1回目に載せたオーシャン・ラベルの写真に、「SINCE 1974」
1874年といえば、明治7年。



大黒葡萄酒(オーシャン)創業者・宮崎光太郎(以下、敬称略)の父・市左衛門が発起人兼出資者となった大日本山梨葡萄酒会社の設立が、明治10(1877)年8月。
それよりも3年早い。
創業年についていい加減なことを書くはずがなく、当初から不思議に思っていた。

結論から言うと、今も謎のままだ。(笑)
ただし推測の糸口らしいものはある。
大黒葡萄酒技術者・関根彰氏の「ある洋酒造りのひとこま」に、次の一文がある。

引用。
大日本山梨葡萄酒会社の中心となって活躍したのは、後年大黒葡萄酒株式会社を創立した宮崎光太郎であった。彼は父市左衛門と共に明治7年頃からブドウ酒試験醸造に着手し、市左衛門大日本山梨葡萄酒会社の設立発起人となるや第一番目にフランス留学を志望している。

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国産葡萄酒の黎明について、時代背景とともに整理する。

明治元年
旧9月8日(新10月23日)、明治と改元。

明治3年
秋、山田宥教と詫間憲久が共同で、「日本で初めてぶどう酒を醸造した」とされる。

明治4年
江戸時代の飛脚制度に変わり、郵便が開業。
「散髪脱刀令」を布告。(「ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」である)

明治5年
「東京日日新聞」(現毎日新聞)が創刊。
国民皆学を目指して「学制」が公布。
新橋(汐留)~横浜(桜木町)間に日本初の鉄道が開通。

明治6年
日本最初の「第一国立銀行」(のちの第一勧業銀行、現みずほ銀行)が創立。
山梨県令(県知事)藤村紫朗が殖産興業策として、ぶどう酒醸造を推奨。

明治7年
山田詫間が、「ぶどう酒を横浜方面へ大量に出荷した」とされる。

明治9年
3回目の「廃刀令」(帯刀禁止令)を公布。
政府官営事業として、開拓使葡萄酒醸造所(北海道札幌)が開設。
開拓使麦酒醸造所(のちのサッポロビール)が開設。
10月、山田詫間がぶどう酒製造を廃業。

明治10年
「西南の役」の勃発、西郷隆盛が自害。
3月末、山梨県立葡萄酒醸造所が完成。
8月、宮崎市左衛門ら、大日本山梨葡萄酒会社設立。

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想像するに宮崎市左衛門・光太郎父子は、明治6年の山梨県令藤村紫朗の「ぶどう酒醸造推奨」を受けて、翌7年頃からブドウ酒試験醸造に着手。
その年を大黒葡萄酒の創業年(SINCE 1974)としたということだろう。

さて、1本の1989年以前の「特級」ウイスキー。
SPECIAL Old OCEAN 12 YEARS OLD Whisky。



「SINCE 1974」の表示はどこにもない。
創業年がないウイスキーは珍しい。
いつから消えてしまったのだろうか?

#オーシャン

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