2年8ヶ月ぶりの信州蒸溜所訪問だ。
前回は車(助手席乗車)で行ったが、今回はJRの鉄道とバスを利用。
新宿駅7時発のスーパーあずさ1号に乗車。
岡谷駅で飯田線に乗り換えて、10時47分に駒ヶ根駅へ到着。
駒ヶ根駅は中央アルプス・木曽駒ケ岳(2956m)の登山口にあたり、駅前から駒ケ岳ロープウェイ山麓のしらび平駅まで30分置きに路線バスが出ていて便利だ。
11時発のバスに乗車し15分、駒ヶ根橋停留所で下車。
途中、こんな名前(赤面)のバス停があった。
梅雨の晴れ間の清々しい森の中を道なりに10分ほど下ると、右手に信州蒸溜所が見えてきた。
11時半前に到着。
緯度から見ると、北から余市、宮城峡、軽井沢、秩父、白州、信州・・・の順番だが、標高が798mと日本で一番高いところにあり、この高度が信州蒸溜所の冷涼さを育んでいる。
蒸溜所内はガイドが付かず自由に見学できて、どこでも写真撮影OKだ。
前回はなかった「マルスウイスキーの父 故岩井喜一郎氏」のパネルが、見学コースに展示されていた。
昨年の秋からだそうで、岩井喜一郎氏の略歴を知ることができたことが収穫だった。
明治16(1883)年8月17日、大阪市生れ。
明治35(1902)年7月、大阪高等工業学校(現大阪大学)醸造科卒(第1期生)。
(14期生にはジャパニーズウイスキーの創始者 竹鶴政孝氏)
明治42(1909)年8月、合資会社摂津酒精醸造所就任(後に宝酒造に吸収合併)。
大正5(1916)年3月、竹鶴政孝氏、摂津酒精醸造所入社。
大正7(1918)年6月、部下の竹鶴氏をイギリスに送り出す。
大正9(1920)年11月、竹鶴氏帰国後、「竹鶴レポート」を上司の岩井喜一郎へ提出。
昭和20(1945)年1月、本坊酒造(株)、顧問就任。
昭和24(1949)年7月、ウイスキー製造免許を取得。
昭和33(1958)年6月、黄綬褒章を受ける。(上の写真は受章時のもの。75歳)
昭和35(1960)年3月、山梨県石和にウイスキー工場を建設。岩井氏指導のもと、現在のポットスチルが設計される。
逝去年、不詳。
昭和60(1985)年3月、現在の長野県駒ヶ根に信州蒸溜所を新設(製造設備は石和から移設)。
竹鶴レポートが原型の岩井ポットスチル。(形状が余市蒸溜所のものと似ている)
さて、蒸溜所巡りのお楽しみ!
こちらのコーナーで、ウイスキーの試飲。
信州蒸溜所の滞在時間、2時間半。
14時に出発し、バスを乗り継ぎ、駒ヶ根駅14時48分発の列車に乗車。
今回、JRと路線バスを乗り継げば、東京から充分に日帰りできることが分った。
しかし新宿には戻らず、松本へ向かう!
#本坊酒造