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ヘリオス地ビール@沖縄。

国際通りのちょうど真中あたりにある「ヘリオス・パブ」へ。
ここのパブとビール工場でしか飲むことが出来ない地ビールが目当てで、左からバイツェン、ラガー、レッドエール、ポーター



ヘリオス酒造は、泡盛、ラム、黒糖酒、リキュール・ハブ酒・梅酒、ビール・発泡酒、芋焼酎などの酒類と、モロミ酢などの健康食品をつくる沖縄唯一の総合酒造会社だ。
創業者は、松田 正(以下、敬称略)。戦後沖縄の立志伝中の人物のひとりである。

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昭和36(1961)年
松田 正が、那覇市にて(資)太陽醸造を設立。
さとうきびを原料としたヘリオス・ラムを米軍向けに製造。

創業者である先代の松田 正が数ある酒の中からラム酒を選んだのには、
「将来食料難が来た時、五穀に頼らない酒が必要になってくる。幸い、沖縄には基幹作物であるさとうきびがあるのだから、それを使った酒を造ろう」
とい う考えが基本になっています。(HPより)

昭和44(1969)年
社名をヘリオス酒造株式会社に変更。

「ヘリオス」はギリシア語で「太陽、日」の意味で、またギリシャ神話に登場する「太陽神」のこと。

昭和45(1970)年
リキュール類製造免許を取得。ハブ酒や黒糖酒の製造を開始。

昭和47(1972)年 (本土復帰の年)
本社・工場を現在地の沖縄県名護市字許田405番地に移転。

背後にやんばる(山原)の森が控える名護は名水の地だそうで、ヘリオスの工場から車で数分のところにはオリオン・ビールの工場がある。
ギリシャ神話には失明したオリオンの眼をヘリオスが治したという逸話があり、偶然にしても面白い。

昭和54(1979)年
焼酎乙類の製造免許が交付され、泡盛の製造を開始。

沖縄の泡盛造りに初めて「銅製」(たぶん今でも唯一)の単式蒸溜器を導入したのはヘリオス酒造だそうだ。
6年前に見学する機会があったが、ウイスキーの蒸溜所でみるようなタマネギ型でなく円筒型の蒸気加熱釜が3器並んでいた。

平成3(1991)年
泡盛、古酒「くら」発売。

普通、沖縄では泡盛は甕(かめ)またはステンレスタンクで熟成させるが、ヘリオス酒造の「くら」は内面を焼いたホワイトオークのバット樽(500リットル)で熟成させている。貯蔵庫は高さ15メートルほどの巨大な建物だった。
また新トンネルの開通に伴い使われなくなった旧トンネルを再活用した貯蔵庫「与那の蔵」をオープン。トンネル内は温度と湿度が安定しており、泡盛の熟成に適した環境にあるという 。

平成8(1996)年
6月、沖縄県具志頭村にビール工場が完成。ビール製造免許が交付され、ビール醸造を開始。

ほかに沖縄県の地ビールは、石垣島ビール(1994年~)、ニヘデビール(2001~)。
ニヘデビールの由来は、沖縄方言「にふぇーでーびる」(「ありがとう」の意)からのダジャレ。(笑)

平成16(2004)年
具志頭村ブルワリーに併設し、登り窯「主甕(ぬーしがま)」が完成。

伝統的な甕熟成では、これまで甕についてほとんど研究されていないのが実情だそうだ。
ヘリオス酒造は、いち早く甕の科学的分析に目を向け土の分析から取り組み、熟成のメカニズムへの探求心から甕を焼く登り窯まで自社で造ってしまった。

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「やってみなはれ」(←もろ、大阪弁じゃん!(笑)。沖縄方言でなんていうのかな?)の精神に富んだ、同じ「太陽」に由来するS社によく似た新し物好きな会社である。

   ヘリオス地ビール@沖縄。
   ヘリオス・ラム
   ヘリオスの謎のウイスキー!?

#ヘリオス酒造

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